our food


日本にいるイスラム教徒にとって食の問題はなかなか深刻だと思う。また海外にいて日本を訪れようとするイスラム教徒にとっても日本での食事については問題の一つとなる。観光客として一時的に滞在する場合は、その問題も異文化圏のトラブルとして深刻の度合いも軽く済むかもしれない。しかし長期にわたって日本で生活する場合は、この食の問題はイスラム教徒としてその存在自体を脅かしかねない。

「深刻」で「存在自体を脅かしかねない」という例を挙げると、例えば、両親が日本に一時的ではあれ長期間滞在する場合、そしてその子どもに就学児童がいる場合、子どもの学校給食で提供される原料の問題がある。異文化圏の生徒に配慮する公共機関や非営利組織によるサービス、公立学校(大学含む)も今は整備されてきているが、その数は例えば日本に滞在するインドネシア人(短期滞在旅行者除く)の約25,000人という比率に対してまだまだ少数に過ぎない。益々その数は、今後日本が”選択する未来”の上で増加して行くことは間違いない(介護福祉士の「見習い」の受け入れや査証無しでの観光が可能になった等はその端緒と言える)ので、この問題は顕在化してくるだろう。
イスラム教徒の子どもが直面するこの「学校給食」についてはとても繊細な問題をはらんでいるのでまた稿を改めて記す。

日本へ旅行をしたいと強く思っているが、滞在中の食事を何にしたら良いのか分からないし、何が材料に使われているのかも分からないので、とても怖くて思い切って日本旅行は出来ないとは、イスラム教徒のインドネシア人の間でよく聞くフレーズ、日本に関する評判だ。

イスラム教徒(「ムスリム」という)はみなイスラム教の戒律に従いアルコールと豚肉の摂取ができない。
アルコールは、いわゆる「酒類」「アルコール飲料(ある数値以上)」を指すだけではなく、調味料や添加物として使われるものも含まれる。醤油も自然発酵を待たずに「アルコール」が添加されているものはダメ。
イスラム圏との取引や食品等を輸入する場合、「ハラール」という認証(関連記事)を受けたものしか受け入れられないが、100%自然発酵による無添加の醤油などはどうなのか?
発酵食品はその「アルコール」の定義に難しいところだ。

自然発酵された醤油等は今までイスラム圏に前例がないため、承認する機関により現在審議中というニュースを聞いた。認められる可能性はあるだろう。アルコールは「発酵」という過程を経て得られるもので、菌類のキノコも厳密にはアルコール分を含んでいる。パンも発酵食品だ。納豆も然り。

豚肉について言えば、「豚」由来のものはすべてダメ。「豚肉」と直接記載されていなくても、食品表示には「ポークエキス」「動物性油脂」や「混合肉」等と記載されている場合もある。煮汁の油脂を「ブイヨン」と表記している場合もあるがこれも注意が必要だ。ゼラチンやラードもNG。マーガリンに使われる油脂成分(動物由来のもの)やカレーのルーに使われている油(ほとんどがラード使用)も大抵は豚由来の原料が使われている。ラーメンには、チャーシュー等の豚肉そのものだけではなく、スープのダシに多くは豚骨が使われるし、カップラーメン、即席ラーメンはほぼ全品に「豚由来」の油、粉末状(固形のコンソメにも「豚」を含む)のものが使用。スナック菓子にも非常に多くの品物に「豚」が使われている。
「チキンハンバーグ」や牛肉をつかったハンバーグだと商品名にも使われているものでも、原料表示に「混合肉(鶏・豚・牛)」となっている場合も多くあり。

この「豚」がいかに多くの食品に使用されているのかと驚くところだ。その他原料が不明なもの、明示されていない食品は非常に多いし、アレルギーを起こす材料の表示がある加工食品やチェーン店・レストラン等のお店は多くあるが、メニューなどを見てそこから何が使われているのか、各店舗のサイトで直接調べたり、店員に聞いたりしてもあやふやか、正確に知ることは不可能な場合が多い。

こういった「アルコール」や「豚」に関する点に気を遣いながら食材を探し、選んで口にすることがいかにも面倒くさいとはイスラム教徒ではない日本人からよく言われる。食事をする際に、もしイスラム教徒の相手が一緒にいる場合はさらに厄介だろう。

面倒で厄介。正直、私自身もそう思う時はある。外での買い物や食事に店員さんなどに原料まで問い合わせることにまだまだ相手からの無言の抗議・否定的な感情を感じることは多い。だがこれは一方で、自分たちが毎日食べているものに、一体何が使われているのか分からずに実に多くの食べ物を口にしているということでもあり、食は生活の基本・すべてでありながら、相手からの知ろうという行為や問いを厄介か神経質な「客」と考えるとしたら少し恥ずかしい気はする。

また、「ハラール認証」を受けるものは食品だけではない。アルコール分が含まれる化粧品はNG。商品そのものに「アルコール」や「豚」が含まれていなくても、それが商品として製造され、店頭に並ぶまでの全ての「過程」も問題とされるが、この記事ではそこまでは踏み込まない。

最後に、”些細な”、日本で一般的には”取るに足りない”こんな出来事があったので記しておきたい。

上の写真はサンドイッチのサブウェイ店で販売された商品。「クリームコーンチャウダー」を注文した。チャウダーの名の通り様々な食材をゴッた煮したものなので、何が入っているのか分からなければ避けるのが無難なメニューだと後で考えを改めた。ただ私の1歳になる子どもがトウモロコシや御味噌汁・野菜スープの類いが好きだったため、3種類あるスープの内いずれかを注文しようと店員さんに材料について問い合せをした。

「ブタ肉が食べれないんですが、ブタが入っていないスープはありますか?ブタ由来の原料全般がダメなんですけど。粉末になったものや脂等も入ります。」

すぐに回答が得られず店員は、少し待ってください調べますからと言って奥に入って行った。
「2つのメニューについては調べたんですが材料が分からなかったので・・・ クリームコーンチャウダーならブタは使われていないので大丈夫です」

原料を訊ねる時、その回答をもらった時でもよく不安を覚える理由は、「ブタ」を豚肉そのものと考えている場合があるからだ。
カレーはチキンカレーなら大丈夫と思う人もいるが、先に言ったようにカレーのルーを作る際にスパイスや小麦粉と一緒に多くはラードを使用しているのは当然ダメだし、調味料にコンソメのようにブタの粉末を含むものが使われているものもダメ。ブタから抽出した脂も名称はなんであれ同様にNGだ。

そういった不安や誤解を避けるため、こちらも「粉末状のものや油脂等、豚由来の原料全般」と言ったり「宗教上の理由で豚が食べられない」と言ったり、説明や質問にも補足は欠かせない。こちらが質問している点をそのまま理解し確認できる店員は実際少ないが、外食店は淘汰の激しい”激戦産業”なので全国(世界)展開する店舗によっては店員マニュアルがそこまで徹底されている場合も多いのは事実だ。自衛の策としてはその場でインターネット上から店舗サイトにアクセスし、手間はかかるが原料について公開されている情報を調べることは場合により可能だ。しかしこれもサイト上で原料までよく分かるように公開している企業もまだまだ少ない(「輸入先」や産地」は言うに及ばず)。

先の「クリームコーンチャウダー」と、妻が頼んだサンドウィッチを持ち帰りにしてもらい、子どもがお腹を空かせてしきりに「マンマ、マンマ」とねだっていたので、車内で妻がこのスープを子どもに与えていた。

「どう?おいしい?」
こどもの反応がない。
気に入った時はいつも小さな声で答えるように「おいしい」と答える。または「う〜ん、(お)ししい」(最近は「うまぁ〜い」と言うように)と喜ぶのだがこの時は少しずつ飲んではいるが無言。子どもにはこの味はそんな良くないのかなぐらいに思った。中の具材を何度か与えても無言。そのうちいらないという風に手でよけるようにしてソッポを向いた。妻が試しに食し始める。妻は程なく驚いたようにスープの中から食材の断片を私に示して、これベーコン!といった。最初キノコの刻んだものだろうと思い私も口にした。脂分が煮込みで抜けているのか白くてカサカサしている。食してみるともう味はしないが、ベーコンに間違いは無かった。普通に何切れか入っている。

スマホを取り出して検索からサイトアドレスを調べてアクセスし、サブウェイが提供する食材情報を見てみる。そこにもこの商品が「豚肉」を使用していることが明記されている。

「まったく・・・」
言い表せない気持ちで心の中でそう思った。
「どうしよう」
妻に聞く。妻は黙っている。
どうしようかと言ってみたのは、やはり「面倒臭い」のだ。

数百円のモノに対して、食材に関するトラブルでもう一度店舗に取って返しこの問題を繰り返すこと。豚肉が使われていないと調べた後に相手が明言しているのにも関わらず「豚肉」が入っていたという、返金に応じるのは当然にして分かっていてもそれで済むだけの問題ではないが、こういう相手にとっては単なるクレーマーまがいに堕するだろうことの腹立たしさ。相手のいい加減さの指摘に関して、やはりいい加減な対応なり言い訳をしてくるその本質が見て取れるし、その相手にしてこのいい加減さを事実に照らしてひも解くことの煩雑さ、相手の無知さ加減からくる厚かましさが嫌になるほど分かるために、つまりは「面倒臭い」のだ。

ただ未然にはこう言った事態、言葉を変えると、「店」を事前に避けることは出来たと感じる。それは事前に食材情報を調べるとかそういうことではなく、非常に簡単なある基準がある。
この店舗の場合、店内に入った時に店員さんが何も反応しなかった。店内に入った瞬間、そういう店は変な雰囲気が漂っているものだ。それを見逃さず直感を信じるべきだった。サービス業を営む店で来客に対して「いらっしゃいませ」の言葉で迎えられない所はその時点で終わっているし客から愛されることはない。ロケーションの良さやチェーン店が持つブランド名に頼っていても、ただ淘汰されやがては消えてなくなるだけだ。

私たちが注文をするためにカウンターに近づいた時にも件の店員は何も反応する事無く怪訝な顔をしながら迎えた。妻が注文する間もその表情を変えることなくその場につっ立っていた。「御客様」ズラして威張った態度をするのは自分も厭うところなので、ただ静かに店員さんへも丁寧な態度を心がけている。それでもなおすぐ妻の横にいた私は少し不快な気分になった。

確かに外国籍の人がこの国ではこのような反応や応対を受けるのはよくあることだ。ましてやその最たる地方の町では尚更だろう。私も実際に家族で出歩く先々で好奇の目やジロジロと礼に欠いた態度を目の前にする。この店について言えばこの店員は他のお客さんへも同様の態度をとっているのは見て取れる。日々の接客態度につまりは”スキ”があるのだ。この店員の個人の問題ではなくそういう態度が日々許されている店はその店自体に”スキ”があるのだ。案の定、ありがとうございましたの言葉もなかったし、それが日々許されているここはそういう店なのだ。

大きな都市や観光客慣れした地域ではそんなことは皆無に等しいので、もし自分が閉鎖的で平和な「身内社会」に守られて無意識に惰眠を続けているとしたら、「おもてなしニッポン」の、先代からの遺産・伝統という今ではイメージの産物になっているものに頼る事無く、国際基準(「人間基準」)に近づくよう(”壊疽”を起こし精神が硬直、子の世代に転移してからは自らは厚かましさの中で朽ち果ててしまうその前に)、早急に自己破壊と変革を果たす試練を自らに課し「覚醒する」必要があると思う。

件のチェーン店「サブウェイ」のその後の顛末については問題が残ったために少しコメント欄「語句補遺」で後ほど触れる。

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