actuality on the literature

【文學ト云フ事】ぶんがくということ

以前に同名タイトルの深夜番組があった。各回一つの文学作品を3分間のCMとして見事にまとめ上げたもので、いわば文学の予告編。最初に見たのが、途中からだったが、『夢十夜』であった。すぐに文庫本を買って来て読んだ。おもしろかった。文章という手段で表現されたものを映像で視覚化したその試みがおもしろいと思った。シリーズの中では『三四郎』が一番好きである。あと緒川たまきさん(川端康成氏の『朝雲』の回に出演。彼女を知ったのはその時が初めて)が出演していた安部公房の『箱男』はそのしなやかに伸びた綺麗な肢体にかなりドキリとしたものだ。

この文学作品の予告編は、しかし、共通した主題の下、「恋」をテーマとして、毎回宣伝のキャッチ・コピーが流れる。『三四郎』の「恋はあまりにも、難解だった」や、故川端康成氏の『みずうみ』では「恋はあまりにも、罪悪だった」(ちなみに『朝雲』は「恋はあまりにも、幻影だった」)、太宰治氏の『人間失格』は「恋はあまりにも、地獄だった」といったものだ。時間も短かったから放送が深夜帯でも楽しみに、何度か見逃しながら観て、2度程再放送されたので、好きな回をビデオ録画したことを今思い出した。

何かと自分には縁のある『夢十夜』であるが、その夢判断や、作者との事実上の関連性について詮索することなどはともかく、それを著した漱石自身、国内で散々西洋文明の高度さ、素晴らしさを吹聴され、渡航先のロンドンで、留学期間中はそのほとんどを自宅アパートでコモって過す事になる。劣等感に心身塞がれ多少のノイローゼに掛かりながら。でも彼自身、急速に台頭してきた西洋文明の中に目覚める個人主義と、その「自我」という意識の中で日本文化の異質性と卓越性をしっかりと確信していたわけで、明治の巨匠・森鴎外同様、西洋一辺倒に傾き始めた明治日本の黎明を「文学」で模索・乗り越えようとしていた。

しかし文学とは一体何なのか・・・ 文学の現在性とは何なのであろう。

かの天才と謳われた詩人ランボー(1854-1891)は、早々、既に20代前半に文学などには別れを告げ、アフリカ・中東の砂漠地で武器商人に身を転じ、異国で彷徨い無名のまま果てる運命を選んだ。全身を病に冒された37歳の早過ぎる生涯であった。

それとは対照的にカフカ(1883-1924)は生涯を自宅で公務員の仕事を続けながら凡庸として終えた。日々を日記の中に文章で書き記すことで、当時、自分が置かれていた状態から来る屈折した想いを慰め昇華させていったが、彼にとって、満たされないものは常に付きまとった。日記は友人の強い勧めによる処が大きい。文筆による創作も勧められて彼は嫌々ながらも従うことになる。書き記した文章はすべてプライベートなものと割り切っていた彼は最後まで未完で終わるであろう原稿の類が公開されることを望まず、自分の死後にはすべて焼却してほしいと友人に宛てて遺言を残した。彼の作品はすべて死後、友人のマックス・ブロートによって編集・出版された。

現代日本の知識人として商用されている作家M氏が、ある事件に言及して、かつてのたまったもの。「もしお前が文学に出会っていたら、やっぱりもう一度同じ事件を起こしただろうかと、もし彼に会うことができるとしたら最後にそう聞いてみたい」と。
幼い子供の首を切断して性的快感を覚えていた14歳の犯人A。「直感像素質者」という彼はある種天才的な特殊能力を持っていた。14歳にして彼は直感的にあのダリの描く「譫妄的喜悦」を理解していた。何度も性的愉悦を得ていた時、同時にその能力ゆえに、はっきりと知覚できた視覚的な残像に苦しめられていた。そしてさらなる膨張し続ける妄想と、やがてその果てに願望の飛躍が起こる。経験には乏しい10代の彼は、まだ精神的にも幼く、理性でもって理解する前に身体的な欲求を果たすべく「境界線」の向こう側へと渡り犯行を実行した。

文学は間接的な癒しの産物である。M氏が想像したように、彼が文学というものに出会っていたとしても、彼の場合は、そんな虚構の世界では収まりきらない肥大し過ぎたものが、自己の肉体と結びつき、この現実世界との関わりを強く求める欲求だけが勝っていたはずだ。文学の限界であると同時に、M氏のような輩達が巣喰っている、あの質問めいたコメントが示唆する偽善的な「楼閣」はこの異常な現実とはあまりにも遊離し過ぎている証左であると考える。そして犯人Aも含めてここには言葉に関わる決定的な欠落した点があることに彼らは気づいてはいない。それは・・

-「第3期後記(notes)」2008年01月04日(金)-

photo1: ランボー Jean Nicolas Arthur Rimbaud。フランス北東の農村部に生まれる。1854年10月20日フランス北東の農村部に生まれる。1891年11月10日没。
photo2: フランツ・カフカ Franz Kafka。1883年プラハ生まれ。プラハは当時オーストリア・ハンガリー帝国領にあり、ユダヤ人一家の家庭で育った彼も、すべて公用語のドイツ語で執筆した。
photo3: 映画『ニュー・シネマ・パラダイス』より。主人公の8mm.カメラの中と彼の目の中に永遠に残り続けるエレナの姿。

One Comment
  1. 語句補遺:編集部

    「欠落した点」については、2008年1月4日に記した上の記事に続いて、同年1月22日の論考「ことばのかたち」という題名で再び言及している。関連記事→

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