anonymous, but equipped as nothing

消去、名もなきものたちの間に

●怒れる牛たちの「革命」行使

『燃ゆる都と怒れる牛たち』は、2006年3月9日の労働の機会均等法第8条が制定されたのを受け、フランスは、首都パリのセーヌ河左岸、カルチェ・ラタン地区にあるソルボンヌ大学の学生の抗議を皮切りに、ひと月近くもの間、シラク大統領の意を受けたドビルパン首相が4月10日に同法を撤回するまで、フランス国全土にまで拡大し、その学生デモによる抗議、暴動の模様が伝えられていた頃の記事(2006年4月11日付投稿)。一度は制定された「雇用法」についてまずは少し。

「仏で学生ら25万人デモ 雇用策に反発、300人逮捕」(一般メディア・国際ニュース)

「フランス政府の若者雇用促進策が雇用を不安定にするとして撤回を求める大学生や高校生らが、16日、各地で再びデモを行い、警察発表で約25万人が参加した。一部は治安部隊に火炎瓶を投げるなど過激化。治安部隊は催涙ガスやゴム弾、放水銃を使用し、学生ら約300人を逮捕した。各地の衝突で治安当局側の46人が負傷した。」(共同通信・パリ17日)

2006年3月9日機会均等法第8条で、政府は「初期雇用契約」(Contrat Premiere embauche2)に関して企業が26歳未満の労働者を雇用する場合、2年間の試用期間を設けることを制度化した。いわゆる新雇用法(CPE)のこと。無期限契約(CDI)の形態から期限付契約(CDD)への移行を可能にする。これにより、労働者にとっては、企業側からの手厚い保障と強い法的保護の下で、生活の安定化が図られていたが、一度雇用したら解雇できない等の終身雇用制が、逆に雇用機会を奪っていると考えられ、この規制をなくすことで悪化の一途を辿る失業者の増加を改善しようとするもの。

個人の権利の主張だ。それが個人間の討議、同調によってつながり、やがて小集団になったもの同士が連携し、さらに大規模な一つの意思表明の運動に発展する。
ある時代別・現代用語事典の中に「フランス式デモ」という項目があった。1960(昭和35)年の条に記載されたもので、「道路いっぱいに広がって行進するデモのこと」とある。続く記述は「日本では1960年6月の安保改定反対デモで東京日比谷公園から銀座にかけて初めて行われたが違法デモとして取り締まられた」と、そそくさとこのようにまとめられ項目は閉じられている。

違法デモですか?

パリは世界最先端のモード発信の都市のひとつである一方、フランス自体は世界有数の農業国だ。人権無視、違法性のある法制定、もの、人物、憲法違反等など、生活の苦情、人生の哲学的不平不満ない交ぜにして、主張・抗議するアクション(行動)なのにそれが合法か、違法かなどを問うのですか? 合法デモの効果に疑い有り。そんなことはちゃんと知っている。ヨーロッパの革命国家の国民はしっかり実力行使している。

農業者が都市へ続く幹線道路をトラクターのバリケードで封鎖している光景はよく衛星ニュースで報道される。イギリス発祥の狂牛病の煽りで大打撃を食らった飼育業者が政府に対して、解決策を迫るために100頭以上もの牛を引き連れて400キロ歩いて首都入城を果たした大デモ行進がかつてあった。この行動はヴィエンヌ県・シャールー村のほんの40人ほどの農家の者達から起こり、半月程かけての行進であったそうだ。途中沿道の同業者や町の人々からの援助などもあったりと、エッフェル塔の建つシャンドマルス公園に集まった牛達のフンや臭いたるや実力行使もどこかエスプリが効いている。掲げたスローガンが、「希望への道。怒りと絶望の叫び」とは、パリの町は曇天の冬空(事件は8月から初秋)のような憂鬱を湛えながらもラテン的なポジティブさがしっかり漂っている。

今回の学生抗議デモ、実力暴動の少し違う側面も触れておくことにする。
フランスの就職率は50%。その内、若者が30%(ドイツ41%、イギリス55%)。国全体の失業率は10%程度で、若者(「大人」は30~50歳まで)の失業率が22%(大学生20%、郊外の移民系若者45%)である。しかし、フランスの期限付契約(CDD)の枠内で働く労働者、つまり非正規雇用者の割合は5%。日本で言えばこの数は1,600万人(全労働者人口の30%)。日本の不安定雇用は全体の中で若者と女性が50%を、男性だけで見た場合は全体の1/3を占める。フランスでは5%というこの非正規労働者の割合は、つまり労働者全体の85%は終身雇用制という5週間のヴァカンス等がしっかり保障された正規雇用で働く労働者ということ示す。

それに失業者の失業率データに関しても、国が補償する金額や期間の違い、大学卒業者の高失業率にしても、その失業期間がデータ上では長くなっている。理由は、保障内ですぐに働く必要がない場合が多く、より条件や内容のいい就職先をじっくり吟味し納得の行く職業を選ぶ傾向等が制度的にも国民性としても、高学歴の場合は尚更、反映しているわけだ。この点からもデータだけを比較し我が国の労働の現状に言及しても意味はない。権利を国民自らが勝ち取り今日まで守り築いて、国が国民を個人としてしっかり保障する制度を持った各ヨーロッパ先進諸国と、我が国日本とは較べることすらできないだろう。日本も終身雇用制が、負の面ばかりが強調されるが、国を発展させ人間を育て、生活を安定・向上させてきたわけだ。個人個人が企業に捧げて来た純朴で勤勉、
質素で謙虚な国民の「人生」と引き換えに。戦後にはその国民性が日本を見事に復活させた。ところがその制度の崩壊の様はどうだったか? 保守的で伝統が重んじられるフランスが今、グローバル化した経済活動の新自由資本主義という過渡期にいるとしたら、彼らは主義や権利の主張、討議という形でシフトしようと揺れている、そのプロセスをも制度がしっかり保障しているのに較べ、日本の企業社会制度、その保護者の政府は、リストラや「窓際イジメ」、中小企業救済の打ち切り・切捨て等といった精神的に陰湿で土着な因習に則って、闇雲に、ドサクサに紛れて断行する。コソコソ、厚顔無恥に汚職にまみれて国民の税金、ならびに人生を盗み取りながら。「燃ゆる都と怒れる牛たち」の記事はフランス国民の動向を聞きながら、そんな怒りに駆られて投稿したものだ。そしてそのブログを続ける意味を見出せないので投稿はそれを最後に実質終えた。

話を戻すが、この抗議デモの少し前、2005年10月から11月にかけて、パリ郊外を中心としたデモがやがて大規模暴動としてフランス全土にまで拡大した。。それはデモを起こした中心層が移民系のフランス人によるもので、言及している「デモ行進」とは様子が違うもの。
フランスの国民は手厚い保護と労働条件下にありながらなんで抗議デモなどをと思うのは、まったく、日本の低水準で劣悪な生活、それを支えるはずの労働条件に異議なく、行動もすることなく、順応してしまった証拠かもしれない。CPEはやがて「年齢制限」を取り払い、「新規雇用契約(CNE)」(従業員20人未満の小規模企業は雇用2年間は理由を告げずに解雇できるとする)の「人数制限」をも無効にするだろうという読みから、労働者全対象がこのデモに参加する。この法制の流れは、つまりは「有期雇用契約」(法的呼称は「被雇用者」、しかしかつて「パート・アルバイト」などと呼ばれた名が今は法制化もされた「派遣労働者」「期間社員」などと言われるものと同じ)を有効にすること。「終身雇用制」の崩壊ということだ。これに対してついに3月28日には労働組合が学生デモに合流、各種労働ストライキも発生し、国はゼネストに突入。300万人規模のデモに発展。凄まじい。3月18日付の外務省発行の渡航情報には抗議デモ参加者数、警察集計で50万人。労働団体集計で150万人とあった。保障された権利、ヴァカンスの為に彼らは戦っているのだ。企業に課された諸社会保障や福利厚生義務は言うに及ばず、「年有給休暇20日間保障」すら派遣社員では日給日雇い扱いだ。国際競争力を付けるためと称して国もそんな労働条件を暗に認めている。好景気に沸き始めたといわれる平成19年後半以降、私企業はこうして国民の権利を利益に換金してコセコセとその経済活動を存続させている。耐震構造、食の品質、製品の虚偽表示や偽装経営方針もすべてこのような発想から生じている。しかし抗議し、行動を起こす個人、その連携のデモ行為を実行するものは誰もはいない。何故だろう。

●匿名、矛盾する「自己」の存在

権利を掲げて、異を唱え糾弾し、対話を求めて自らの主張を行う。でもやはりそこには闘争という構図が浮かび上がってくる。こうして自己の主張をすることは戦いなのだと理解する。戦い自体が目的化している場合もある。抗議デモの行動にかこつけて暴徒と化した外部から参加した団体、環境保護をスローガンに掲げながら破壊活動が目的で自らの所属する団体のアピールになってしまっている例は、近代の「自我」という問題に照らし合わせて考えた場合、「愛」についての定義を、ほんの少しではあるが限定し、余分な要素を廃して考察することを可能にする。

自己の主張が闘争の一種であるならば、その戦いを望まなくても相手の主張によって自分に対して仕掛けられた時にはそれは防衛の闘争になる。愛の行為もこの自我存続の駆け引きとある面では考えられ、相手に対して自己を利する感情や欲求がなくなった時、それを無償の愛によるものだとは断言できない。なぜならそこでは自己が既に存在せず、自己が消失した存在など相手にとっては無に等しいからだ。

その無に帰するような、匿名という自分の名を変え、境遇や履歴を偽って架空の、しかし現実の実生活を持ち、いくつものこの匿名性を使い分けて働き、社会活動もする動きが、同じ大デモ行進が起こったフランスで生じている。西洋の合理主義下で、自由や権利、個人主義を生んだその国で彼らは今一体何を模索しているのか?
– 2008年01月20日 –

One Comment
  1. 語句補遺:編集部

    少し古い記事をここでも、単行本化したものから立て続けに再投稿している。この記事は特に以下の箇所を受け、その6年後の現在の事象に注目するからである。インターネットを介したSNS等やスマートフォンの爆発的な普及に伴ってこの「無名の匿名という個人」が抱える問題をもっとはっきりと捉える必要性を感じた。

    以下記事からの抜粋。
    「その無に帰するような、匿名という自分の名を変え、境遇や履歴を偽って架空の、しかし現実の実生活を持ち、いくつものこの匿名性を使い分けて働き、社会活動もする動きが、同じ大デモ行進が起こったフランスで生じている。西洋の合理主義下で、自由や権利、個人主義を生んだその国で彼らは今一体何を模索しているのか?」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*