being under the sky 2.0

『なめとこ山の熊』について

なめとこ山の風景

「なめとこ山は大きな山だ。淵沢川はなめとこ山から出て来る。なめとこ山は一年のうち大ていの日はつめたい霧か雲かを吸ったり吐いたりしている。まわりもみんな青黒いなまこや海坊主のような山だ。山のなかごろに大きな洞穴ががらんとあいている。そこから淵沢川がいきなり三百尺ぐらいの滝になってひのきやいたやのしげみの中をごうと落ちて来る。」

大空滝を有するなめとこ山に住み着いている熊がむかしは“ごちゃごちゃ”いたと語る。その熊の胆は名高いものになっていて、それらを“片っぱしから”熊捕り名人のある猟師が捕ったのだという。その名は淵沢小十郎。熊やこの山辺り一帯のことを知り尽くした超ベテランの猟師だ。 淵沢小十郎の記述。

「すがめの赭黒いごりごりしたおやじで胴は小さな臼ぐらいはあったし掌は北島の毘沙門天さんの病気をなおすための手形ぐらい大きく厚かった。小十郎は夏なら菩提樹の皮でこさえたけらを着てはんばき生蕃の使うような山刀とポルトガル伝来というような大きな重い鉄砲をもってたくましい黄いろな犬をつれてなめとこ山からしどけ沢から三つ又からサッカイの山からマミ穴森から白沢からまるで縦横にあるいた。」

広範な狩猟エリアをまるで「自分の座敷の中を歩いているという風でゆっくりのっしのっしとやって行く」彼は、巷では彼の風貌は何か場違いで異様な人物に映ったかもしれない。しかし逆に舞台が自然の中で相手が獣だからこそ彼の凄みが猟師としての特性を際立たせている。わが物顔で山野をのし歩く彼の描写は、猟師である彼の存在をはっきりと主張している。そしてそんな彼のことを熊たちも好いていたとある。しかし銃を構え、烈火の如く吠え立てる犬をけしかけ、鋭い眼光を向けた彼のことはみな遠慮したいと思っているとも。気性の激しいヤツも熊の中にはいるからそんな時には彼に襲いかかって行くしかない。こんな具合に。でも小十郎自身も容赦しない。その様子は凄まじい。

「ごうごう吠えて立ちあがって、犬などはまるで踏みつぶしそうにしながら小十郎の方へ両手を出してかかって行く。小十郎はぴったり落ち着いて樹をたてにして立ちながら熊の月の輪をめがけてズドンとやるのだった。すると森までががあっと叫んで熊はどたった倒れ赤黒い血をどくどく吐き鼻をくんくん鳴らして死んでしまうのだった。」

しかし、そんな冷徹で恐ろしげな彼も、心のうちではこんな心構えで生業とする殺生を行っている。

「熊、おれはてまえを憎くて殺したのではねえんだぞ。おれも商売ならてめえも射たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても誰も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめえも熊に生まれが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生まれなよ」

まさに名人だから達し得た心境である。さすが!彼は殺生事に苛まれながらも諦観を持ち、この現世を達観した見方で眺めている。このかれの世界観から高貴な姿さえ浮かんでくる。 高貴な姿?!
しかし彼自身が気づいていない、この「高貴」と映る自負心も、生活の中で圧殺されていく自我による苦悩を無意識のうちに助長させていく。そして、彼が四十の時に赤痢にかかり息子やその妻、飼い犬も、一匹を残し、すべて死んでしまい、残された孫達と老いた母親の世話をしながら生活している、そんな彼の「高貴さ」も、第三者的な見方によって描かれている彼の姿により脆くも崩される。そこでは彼はたんなる卑しい、他人からは取るに足らない山人でしかない。その様子は彼が里へ降り、狩猟の品物を商い業者に足元を見られ さばかれる場面でみじめに描かれる。

親子熊の夢幻

山野を我が庭のように歩哨し振舞う彼の描写の前にあっても、依然として、未知な自然の大きさや深さが色あせることはなく、静かに黙して何も語らないそれらは、彼、小十郎という人物の存在が行う主張を、許容しながらもその真の姿の一端を見せる。彼はある日、沢筋に迷い入り知り尽くしていたはずの空間的な感覚を失う。疲弊してやっと辿り着いた狩猟小屋から、湧き水を汲みに下った時、ある光景に出くわした。そこにはやっと一年になるかならないかの子熊とその母熊が、「丁度人が額に手をあてて遠くを眺めるといった風に淡い六日の月光の中を向こうの谷をしげしげ見つめている」。

「小十郎はまるでその二疋の熊のからだから後光が射すように思えてまるで釘付けになったように立ち止まってそっちを見つめていた。すると子熊が甘えるように云ったのだ。
「どうしても雪だよ、おっかさん、谷のこっち側だけ白くなっているんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん。」
すると母親の熊はまだしげしげ見つめていたのがやっと云った。
「雪でないよ、あすこへだけ降る筈がないんだもの。」
子熊はまた云った。
「だから溶けないで残ったのでしょう。」
「いいえ、おっかさんはあざみの芽を見に昨日あすこを通ったばかりです。」
小十郎もじっとそっちを見た。
月の光が青じろく山の斜面を滑っていた。そこが丁度銀の鎧のように光っているのだった。
しばらくたって子熊が云った。
「雪でなけぁ霜だねえ。きっとそうだ。」
ほんとうに今度は霜が降るぞ、お月さまの近くで胃もあんなに青くふるえているし第一お月さまのいろだってまるで氷のようだ、小十郎がひとりで思った。
「おかあさまはわかったよ、あれはねえ、ひきざくらの花。」
「なぁんだ、ひきざくらの花だい。僕知ってるよ。」
「いいえ、お前まだ見たことありません。」
「知ってるよ。僕この前とって来たもの。」
「いいえ、あれひきざくらでありません、お前とって来たのきささげの花でしょう。」
「そうだろうか。」
子熊はとぼけたように答えました。小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになってもう一ぺん向こうの谷の白い雪のような花と余念なく月光をあびて立っている母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないようにこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思いながらそろそろと小十郎は後退りした。ころもじの木の匂が月あかりといっしょにすうっとさした。」

この文章は自分がいままでで出会った中で一番にやさしく美しいもの。学校に入学して以来、国語の授業に面白味を感じなかった自分にとっては、書物がもたらす影響や喜びを学校では、可能性に満ちて多感である幼年期に知ることはなく、宮沢賢治デビューもずっと後になった。大学後半に入って自分で見つけ、その時に初めて彼の作品に接したといってよい。遅くなった分、また自分自らが求めたことにより彼が描く世界がすんなりと身体の中へ沁み理解できた。幼年期に出会い理解できていたら心も多分に影響を受けていただろうと思うと、今は残念で堪らないのだが、この文章の中で描かれる美しい世界は、繊細でひどくもろいものである。それを壊さないようにと小十郎はそっとその場を後にするのだった。

熊の約束

ある夏の日に起こった事。猟をしていた小十郎は目の前に、背中を見せながら木に登ろうとしている大きな熊を見つけた。小十郎に気づいた熊もしばらく思案げだったが、小十郎が油断なく銃身を熊に向け近づいて行った時に、熊は両手を挙げて叫んだ。

「おまえは何がほしくておれを殺すんだ。」
「ああ、おれはお前の毛皮と、胆のほかにはなんにもいらない。それも町へ持って行ってひどく高く売れると云うのではないしほんとうに気の毒だけれどもやっぱり仕方ない。けれどもお前に今ごろそんなことを云われるともうおれなどは何か栗かしだのみでも食っていてそれで死ぬならおれも死んでもいいような気がするよ。」 「もう二年ばかり待って呉れ、おれも死ぬのはかまわないようなもんだけれども少しし残した仕事もあるしただ二年だけ待ってくれ。二年目にはおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやるから。毛皮も胃袋もやってしまうから。」

熊はそれだけ言うと彼がもう後ろから撃たないのを知っているようにそのままゆっくりと立ち去って行く。彼はその姿を見た時、何か辛くなってそのまま彼も谷を下って行く。熊は二年後に約束どおり小十郎の家の前で血を吐いて死んでいた。小十郎はそれを見てただ拝むようにするのだった。

小十郎の自我と空の下の生

「婆さま、おれも年老ったでばな、今朝まず生れで始めで水に入るの嫌んたよな気するじゃ。」 一月のある日、朝出かける時に小十郎は今までいったこともなかったようなことを口にする。

「すると縁側の日なたで糸を紡いでいた九十になる小十郎の母はその見えないような眼をあげてちょっと小十郎を見て何か笑うか泣くかするような顔つきをした。小十郎はわらじを結わえてうんとこさと立ちあがって出かけた。子供らはかわるがわる厩の前から顔を出して「爺さん、早ぐお出や。」と云って笑った。小十郎はまっ青なつるつるした空を見あげてそれから孫たちの方を向いて「行って来るじゃぃ。」と云った。」

沢を幾筋も越えて山の奥へ奥へと入っていく小十郎を捉え記述がされる。
彼は夏季に、大きなヤツが棲んでいるのを突き止め、今その場所を目指していた。
谷へと流れる沢の支流を五つ越え、何遍も何遍も右に、左に、雪と水を掻き分けて渡り、溯上してやがて小さな滝にたどり着く。彼はその滝の真直ぐ下から、雪の照り返しの眩さに目をジリジリと焼かれながら登りはじめる。犬もそれに忠実にぴったりとつき従った。
やがてその崖を登りきり、頂でしばらく休んでいた時、犬がいきなり吠え出す。それに振り返った時、一頭の巨大な熊、夏に目をつけ今追っているヤツに間違いない、が両足で立って襲い掛かって来た。彼は少しも慌てず、ただどの今までの熊以上に巨大で、襲い来る凄さに少し顔を強張らせ、だが落ち着きヤツに狙いを定める。カチッという音とともに火を吹いた銃身に、だが熊は怯んだり倒れ込んだりすることもなく、嵐の如くゆらいでやって来る。と、がぁんという音が頭の中に響いたと思った瞬間に、目の前が真っ青になる。

その後、三日後の事。不思議な光景が描かれるがここでは触れない。

最後に小十郎が家を出る時に空を見上げた瞬間、彼は一体この時何を思ったのだろうか?

『なめとこ山の熊』は、宮沢賢治の短かった生涯の中での晩年期の作品である。童話の執筆初期に書かれた『よだかの星』は、悲しくも美しい、よだかの願いが星になるという物語だった。美しいとは悲しみの感情が純化して透明な意志とともにある方向へと突き進んだ時に発するもの。よだかの場合、高く高く上空へ舞い上がりその行為が死に至り、彼の願いが星に置き換わった。

よだかは、みんなから醜い姿と非難され、笑いものにされて疎まれる自分の姿を辛いものと思う。そしてタカの名を持つことで怖れられ、その鷹からは疎まれる。虫を捕らえ口にした時、その虫の命が失われる様をノドの奥に感じて、彼は耐え切れずそれを思い切り飲み込み、涙を流した。虫たちの生命を奪い自分の命を保ってゆくこと。その連鎖上にあるこの世界の幸せとは?よだかは願う。よだかの願いは、自らの死と引き換えにして、自分には苦しみに満ちたこの世界から離れ、何処か、本当に幸せになれる場所まで、高く高く飛び続けることだった。

小十郎は大地に立ち、そこから頭上の空を見上げる。小十郎にも願いがあったはずだ。しかしそれについては何も語られることがない。彼には生活があり、殺生ごとを生涯の生業にして養っていかなくてはならない母親や残された孫達がいた。何も語られることがないまま、彼と彼の行動が自然の風景の中でただ静かに描写される。                  

最後に記される不思議な、動物達(おそらく熊たち)による儀式は、大地に繋がれた小十郎にとっての送り火となった。高く聳えた小十郎の身体の影は、彼らによって星空へと送り出された。                       
小十郎の亡骸を集まって来たそれぞれの影が取り囲み、それらはまったく、化石したようにいつまでも動こうとしない。彼らに囲まれた小十郎の動かぬ表情が微笑みをたたえながら、参の星だけが運行を続けていることを記して物語は閉じられる。

3 Comments
  1. 闘熊 (とうぐま)[英] bear beating

    15世紀から17世紀半の大英帝国内で興行されていた見世物の一。

    英国産の猟犬の練習用に行われていたものが起源か、熊に一方的にブリティッシュ犬が噛み付くという、この見世物の、不公平な構造に、人々は喚起し興奮したのだろうか?鉤爪をはがされて、牙まで抜かれた圧倒的に不利な状態にある熊に対して、数頭の犬をけしかけるなど、犬を愛護する国民の、サディスティックな優越感から生み出されたものであると考えられる。国内で興業禁止されたこの「余興」は、英国を遠く離れた植民の地で新たに生み直され、それらの国々で二世紀近くも英国起源のこの見世物は継承されていく。

    植民地の一つだったパキスタンでは1835年に禁止された後、まだ一世紀以上も続けられることになる。北部パキスタンでは現在も違法に行われており、しばしば祭礼の主催者で強力な地主層によって開催される。その階級社会が支配する地域では、この闘熊に供する熊を提供すること自体を代々の生業にする貧しい階層の人々もいて、今でいう巡業サーカス団のような、熊などの動物を調教技術や彼らに仕込む芸事など、伝統芸能の担い手としての側面も持っているため、根絶させるには厳しく、そこには根強い因習や貧困問題なども同時に横たわっている。

    世界各地に今なお残された帝国の遺産・遺物は、紛争の火種だけではなく、こういった、彼らが唱える価値観とは逆の、相矛盾した形で生き続けている。


    写真は各アジア高地・山岳域・森林地帯に広く生息する、日本でもおなじみのツキノワグマ。日本では間もなく絶滅するだろう数少ない大型獣の一つ。通常1~2頭生まれる子熊は母熊の下で大切に守られ育てられ、森で生きる術や知識を2年間かけてすべて学んでいく。

  2. いつも手離さなかった宮沢賢治の手帳


    11月3日(1931年)の日付が見える中で、「雨ニモマケズ」の言葉が記されている。

    生前彼自身が刊行したものは『注文の多い料理店』の童話集だけだったが、「心象スケッチ『春と修羅』第1集」は1924年に1,000部を自費で公刊、以後も手直しや増補をし、最後まで推敲が続けられたが2集、3集と続くこの詩集が彼の生前に刊行されることはなかった。
    この詩集が文壇に既に颯爽とデビューを飾っていた当時の作家たちに与えた影響は計り知れない。中原中也などは公然と発表することはなかったが、いち早くその宇宙的な詩想と言葉が紡ぐ世界観に圧倒され、同じ詩人として脅威すら感じたに違いない。彼が結局無名で終わったのは、文壇という、その彼らと属する世界が違っていたためだけの理由だったのかもしれない。

    その他にも、彼が持ち歩いていた革鞄には未完の遺稿が詰まっていた。彼の作品はほとんどが未完成のままだったが、『銀河鉄道の夜』も、書き足した原稿が何重にも張り合わされ、手直しをし、新しく書き加えたりと終わることなく物語が広がり続けた作品の一つだった。

  3. Pingback: moment edition | blue sky in eyes

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