kopi


今、私の妻の友達Nさんとその2人の子供達K&Kが日本に滞在中である。ラマダン(Ramadan 断食の月)が始まる前の小旅行であるという。インドネシアのバンドゥン市で洋菓子店を営む彼女らはその月とラマダン明けのラバラン(レバラン Lebaran イスラム暦の正月)になるとほぼ2ヶ月間は大忙しに成るそうだ。みんなが休みの時に休めないので今のうちに休暇を日本で過ごし、我が妻は数日ともに付き添い我が子も連れてそのガイドを引き受けたという訳だ。
妻たちは今時分は東京・銀座などへ見学に行っている日程だが、東京行きの前に当家へ立ち寄り2日間滞在、ローカルな旅の後には、先日千葉ディズニーランドへと出発していった。


上の写真は彼女からインドネシアのお土産として頂いたものだ。”kopi”とはインドネシア語の「コーヒー(珈琲)」のこと。香(味よりも)とその淹れる時間自体が好きでよくコーヒは飲むのだが、詳しくはないのでウンチクの一切はお読みいただいている方々にお任せし、体験的なことをここでは記す。ただ折角頂いたものなのでそれがどんなものなのか気になるのは人の性(さが)というものだ。

早速ドリップ用カセットが付いた方をいただいて見た。

「うわっ、なんと新鮮な香り、その濃さであることよ。」

湯を注ぐと立ち上がる湯の気がなんともいい香り。上品な香というやつだがこれは”キャラメル味”のせいか?私の味覚が錯覚を起こしているだけ?酸味が強いが柔らかい甘い香りが喉の奥からゆっくり広がってきた。素人の私が飲んでもかなり美味しい。

ちなみにそのパッケージには、「栽培地標高」1,600m、アラビカ種の生豆(グリーン豆)使用、手摘み、いわゆる焙煎前の工程で「乾燥処理方法」が自然乾燥と水洗浄の中間・両工程による”セミ・ワッシュド”との記載。その他にコーヒーの木やその品種名、他生産工程などの方法や生豆のグレードや湿度といった情報も細かく記載されていた。

珈琲の洗礼を受けたのはコスタリカ滞在中だったが、相変わらず素人だった私が両親に宛てて送ったコーヒー豆を、コーヒーなどあまり好きではなくて飲まなかった母親がこれは美味しいと言って飲んでいた。そんなこんなでやはりそのコーヒは一般的にもかなり美味しかったのだろう。コーヒ豆を栽培する巨大農園のある町で普通のスーパーでたくさん安価に売っていたものだ(その後何年かしてから日本国内の通販サイトで同じメーカものを見かける。少量高価で販売していた)。その国が誇る輸出主要品目というのはそのようなものだろう。

インドネシアと言えば、私は知らなかったが、世界でも有数のコーヒー産出国だそうだ。最もその名を馳せていたのはオランダ植民地時代のことだろうと思っていたが、今でも産出するコーヒー豆の美味しい国だそうな。

あの麝香猫(ハクビシン)のフルーティーで香ばしい排泄物からわずかだけ採取できるコーヒー豆があることは知っていたが、これがインドネシアという国だとは知らなかった。その2つが私の中でつながったのは妻と結婚してからのことだ。これは普段人々が生活の中で口にしているもの、一般的に国民にも馴染みがある嗜好品とは思えない。これが高級品であることは産出国の国民にとっても同じことのようだ。

しかし、それでもなおコーヒーについてはインドネシアの人は折りに触れてはよく言及する。しかしだ・・・

日本在住の知り合いだったインドネシア人で、郷土料理のレストランを経営していた家族が、彼らもまた話が日本のお茶などに及ぶと必ずコーヒーについて誇らしげにかつ”嫉ましげ”に話した。

日本茶は飲まない。市販のインスタントコーヒーなんて買わない。インドネシアのコーヒーじゃないと飲めない、飲まない。インドネシアのコーヒーは美味しいぞ、飲んでみるかと聞かれて、ではそんなに美味しいなら、飲んでみたいと答え、相手がメニューを見せたので、何がお薦めかと聞けば、全部だとのたまう。彼等北スマトラ地方の出身なので、そこのコーヒーはどれかと聞けば、これだと答え、ではそれをもらおうかと頼み、程なく粘土のコネが荒い陶器のカップに淹れ(?)て持ってきた。飲むとそれは粉スープのような舌触りで、コーヒーとは言い難い、液体状の苦い”流動食”だった。

異文化、食文化の違いという「壁」は、受け入れ難い味覚まで苦もなくチャラにしてくれる忌まわしい「装置」だ。
ただあまり頓着のない自分は、美味いとは言えないが彼等の言うインドネシアの珈琲とはこのようなものなのかと思った。しかしだ・・・

飲みほす間もなくカップの底にとろみのある粉状のものが沈殿していて、素朴な疑問が出てつい彼等に対して口走っていた。インドネシアのコーヒーってこんなドロドロしているのが普通なのかと。他意のない素朴な疑問だった。彼等は再びのたまった。違うと。意表を衝かれた答えに(いつもながら)、多少困惑して咄嗟に、ではこれはあなたたちが誇っていたインドネシアの”コピ(コーヒー)”なるものなのかと聞いた。違うと再び。そして続けて事も無げにのたまわった。それはインスタントコピ(コーヒー)だと。そう言って一袋サイズの粉末コーヒーを見せた。呆れて唖然とするとはこの時のことを言うのだ。

コーヒーについてはそれ以上話題にしなかった。
帰り際に多分私は顔が引きつっていたと思うが、何とも複雑な思いで500円、コピ代として彼等に支払ったのを覚えている。

またある時コピについてこんな事があった。
インドネシアを訪ねた時の事だ。首都ジャカルタ郊外・ブカシ市のあるインドネシア人の男性が、彼の妻の出身地であるアチェのコピは世界一だと言った。飲みたいかと言うので、是非試してみたいと答えれば、今ここにないからダメだと言った。自分はコーヒーが大好きで今はただアチェのコピが飲みたいとも言った。お前も飲め、お前も飲めと何度も同じ事を言うので、一体どんな味なのか、飲んだことがあるのかと聞けば、飲んだことはないと言った。
万事彼等はこの調子だ。

そもそも、彼等は自国のコーヒーを誇るが、コーヒーそのもなんぞは飲むわけではなかろう、そう私は確信した。
街へ出れば甘いジャスミンティーがその名を変えてよく売られている。大人気の”Mr. & Mrs. Green Tea” もこのジャスミンティーだった。日本茶の持つ、本当の日本茶も知る事なく、そのイメージを取り込み利用しながら。彼らは万事このように”アザとく”生きている。

また街中に多数ある、一般的にはまだまだ高価な、外資系のフランチャイズやカフェ店に入らなくても、至るところにココナツジュースや質の違いこそあれ冷えた果物ジュースが安価で売られている(あるいは先方から売り歩いてくる)。日本のように自販機やコンビニなど特に必要はないし、自分で自ら手間暇かけて珈琲を”淹れる”必要もないし、その習慣すらない。

習慣がないとはどういうことか。

例えば日本茶だ。
日本茶は高価だが健康にいいとはみんな知っていても、あまり好んで飲んでいる人も見かけないし、お土産に茶器とともに差し出しても、何日もそのまま手もつけずに放置されていたりする。飲まないくせに欲しがるには欲しがる。高価なものだと知っているから欲しいだけだ。茶の淹れ方や茶器のメンテも細やかで、それが第一面倒臭い。コーヒーもそれと同じだ。日常の中の手間がかかり面倒で事細やかな所作やプロセスが嫌いな人たちには、お茶やコーヒーがもたらす時間の贅沢といった質的な価値は理解し得ないかもしれないとも思ったが、勿論、この習慣的に身についていく所作やその嗜好・傾向は人にもよるのだが・・・
その意味では日本人も同じで、この面倒な茶の習慣や所作も、世界的なブームとは真逆に、国内需要、若い年齢層の消費は減少してきているとは個人経営の茶農家の方達がみんな口にすることではある。
哺乳類は本質的にナマケモノなので、楽に楽にと習性づけられていくのは当然の事。

さて今日本滞在中のNさんはお茶が好きで普段も飲むそうだ(ダイエットも兼ねてと言っていた)。美味しいインドネシア産のコーヒーもまた然り。彼女には滞在中の目的の一つに、日本茶を自分の分とお土産用にたくさん購入するというものがあり、私たちが彼女から頂いた珈琲のお土産はその対極にあったものだろう。日本のお茶に対してインドネシアの珈琲という、彼女の来日に際する気持ちの表れだったと思う。


もうすぐラマダンに入るとは先に記した。
写真はドライフルーツで、ナツメヤシの実(デーツ date)。完全に乾燥させたものではなく、イラン産をドバイ経由で保冷空輸された半生のもの。今は国内の通販サイトで簡単に購入が出来る。

このデーツの果実はムハンマドがよく口にしていたとコーランに次ぐ聖典の各ハディース(言行録)の中に記されている。ムスリム(イスラム教徒)が断食明けによく口にする。味は口にすると花林糖を思い出すが、黒糖に似た味でとても甘い。この製品は添加物や砂糖の類は一切使用してないので、果実本来の甘さから来るもの。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*