L’Insoutenable Légèreté de l’être

書棚の一冊『存在の耐えられない軽さ』
L’Insoutenable Légèreté de l’être, de Milan Kundera

●「永劫回帰」、裏切られるイメージ

この本と共に思い出すことは様々だ。ここでそれらについて記すわけではないが、思い出す事柄、あるイメージを喚起する最初の始点に立ち戻って考えて見ることは意味があることだと思う。

自分にとって確かにこの作品は、人生を一つの可能性に沿って決定して行く「選択肢」の一つに大きく影響を与えた。

人は無意識に何かを選択してしまっている場合もあれば、止むを得ない場合、また強い意思を伴って行う自らの選択もある。あの時自分の場合はどうだったのだろう。自分の場合、それらの記憶は、おそらく今ではもう使われてはいない古い木造アパートの、4畳半の一室と。押入れや、天井一杯まで、四方を本棚の書籍群に囲まれた、しかし整然としてこぢんまりとした部屋の視覚的イメージと結びつき、まだ鮮明に残っている。

鮮明さに惑わされた、しかしその遠い日の記憶は、確実に今の自分につながっている。この作品は、彼の出版された他の全作品と揃えて、フランス語原書と日本語翻訳版の両方を所有していたが、自分の蔵書群と共にかつてすべて処分してしまった。何年か後になって文庫化され、しばらく忘れていた頃、ある書店で購入し読み返すことなく、今は簡易本棚の隅に再び収まっていたもの。

旧チェコスロヴァキアに生まれたクンデラは、ある本を手にして、その中の何枚かの写真が自分の少年時代を思い起こさせたことに感動させられたと記す。その写真はヒットラーに関するもので、その時代を戦時中に過ごした彼は、親戚で強制収容所で死んだ多くの人を持つ。にも係わらずに、それらの写真が、二度と戻ることのない自分の少年時代を呼び覚ましたのに較べて、死んでいった人々は一体何をもたらしたのかと、彼は「永劫回帰」というものに考えを及ぼしながら問う。一度経験したことが、再び繰り返されて、そしてその繰り返しのループが際限なく繰り返される・・

この神話は裏返せば、「一度で永遠に消えて、もどってくることのない人生というものは、影に似た、重さのない、前もって死んでいるものであり、それが恐ろしく、美しく、崇高なものであっても、その恐ろしさ、崇高さ、美しさは、無意味なものである。だから14世紀にアフリカの2つの国家の間で戦われた戦争で、ことばにあらわしがたい苦しみの中に30万人もの黒人が死んだにもかかわらず、世界の顔を何一つ変えなかったように、その恐ろしさ、崇高さ、美しさはまともにとりあげる必要はないのである。
14世紀のアフリカの2つの国家の戦いが、永劫回帰の中で数限りなく繰り返されたとしたら、何がが変わるであろうか?変わる。それは目に立ち、永遠に続く塊となり、その愚かしさはどうしようもないものとなるであろう。」と。

ヒットラーの写真と彼の少年時代との融和は、実際は永劫的に繰り返されることのない世界での、反道徳的な現象をあらわし、それはこの世界が実はすべてのことが事前に許容され、あらゆることがシニカルに定義できる側面を与えられているということだと彼は言う。

●軽さと重さ

「私達の人生の一瞬一瞬が限りなく繰り返されるのであれば、私達は十字架の上のキリストのように永遠の名の下に釘付けにされているのだということを意味している。このような想像をすることは恐ろしい。永劫回帰の世界では私達の一つ一つの動きには耐え難い責任の重さがつきまとうのだから。ニーチェが永劫回帰という考えをもっとも重い荷物と呼んだ理由がここにある。
もし永劫回帰が最大の重荷であるとすれば、私達の人生というものは、その内容の下では素晴らしい軽さとして立ち現れて来るはずだ。
だが重さは本当に恐ろしいことで、軽さは素晴らしいことであろうか?
その重々しい荷物は私達を粉々にし、私達はその下敷きになり、地面にと押さえつけられる。しかし、あらゆる時代の恋愛詩においても女は男の身体という重荷に耐えることに憧れる。もっとも重い荷物というものはすなわち、同時にもっとも充実した人生の姿なのである。重荷が重ければ重いほど、私達の人生は地面に近くなり、いっそう現実的なものとなり、より真実味を帯びてくる。
それに反して重荷がまったく欠けていると、人間は空気より軽くなり、空中に舞い上がり、地面や、地上の存在から遠ざかり、半ば現実感を失い、その動きは自由であると同様に無意味になる。
そこで私達は何を選ぶべきであろうか?重さか、あるいは、軽さか?」

(第1部「軽さと重さ」

こうして対比される「軽さ」と「重さ」の命題が導き出され再び問い直されていく。

内容を散文的に描写し記述していく作品が数ある中で、そのストーリーをこのような記述のスタイルで、平易な表現と、誤解の入る余地を与えず、言葉の定義をしながら語義を明確にし語っていく作品に、いままで出会ったことがなかった。そして滑稽さに充ちた笑いも。
小説のストーリーだけを追うのなら視覚的に映像化された映画などを見れば事は足り印象も強い。その視覚化された映像の良し悪しが問われるだけだ。しかし彼が語るストーリーは文章による表現だけがまさに可能にした作品だと感じる。

●心と身体

耐え難い責任の重さから逃れ、一度しかない我々の人生は軽さとして表れる。しかしこの重さがない人生は無意味だ。人生が充実し、現実感を与えるものはこの重さであり、責任を伴った人同士の深いつながりが、生きることや自分の存在に意味を与える。
星の王子さま』(Le Petit Prince)という作品をかたちにしたサン=テグジュペリ(Antoine de Saint-Exupéry)は、現実に生きる一人の生活者としてこの言葉の約束を果たし、その意味を愛する人に向け身をもって伝えた(『ことばのかたち』)。

心と身体をもった我々人間、その精神は自由な軽さを求めている一方で、肉体をももった我々はその軽さには耐えられない。身体レベルで実感できる他者である相手の存在が必要であり、その責任の重さに耐えていかなくてはならない。この重みを伴う人間の責任についてクンデラは文学的に検証していく。

その中で設定され登場する人物。

「その人物は母親の身体から生まれたのではない、2つの暗示的な文の中の1つ、あるいは、1つの根本的な状況から生まれた」そのひとり、トマーシュは“一回の数は数の中には入らない”という文」から生まれ、テレザは「おなかがぐうぐうと鳴ったこと」から生まれた。彼女は「心と身体の和解し難い二重性、すなわち人間の基本的な経験を冷徹に白日のもとにさらす状況」の中から生み出された。

●理解されなかった言葉

ジュネーブで平和に暮らすフランツに、祖国を捨て「西側」に亡命して来た画家の愛人ができる。2人は、誤解し誤解された関係だったからこそ、皮肉なことにうまく付き合って行けた。フランツは彼女を誤解し、自分が彼女を好きになった点や理由については彼女も誤解している。
1968年8月20日にワルシャワ条約機構軍のソ連・戦車部隊が旧チェコスロヴァキアへ侵攻した時代をこの作品は背景にしている。その時代に生を受け育ったこの女性・サビナというもう一人の人物が登場する。

愛とは、フランツにとって愛する女に自分の身を無条件でまかすという願いを意味していた。サビナにとっては彼との関係は「裏切り」に導くプロセスでしかなかった。作者は記す。

「彼女にとって裏切りとは隊列をひとり離れて、未知へ向かって進むこと。彼女は未知へと進むこと以外にもっとより美しいことを知らなかった」

●理解されなかった言葉の小辞典:
」「誠実さと裏切り」「音楽」「光と陰」「行進」「ニューヨークの美しさ」「サビナの祖国」「墓地」「アムステルダムの古い教会」「」「真実に生きること

同じようにフランツにとってもサビナという愛人は、性的な肉体の快楽以外に、一つのメタファーに過ぎなかったであろう。あるいは理想という幻影。
「彼女は、はるか昔に革命の幻想も消え失せてはいたが、それでも、もろもろの革命に際してフランツが賛嘆して止まないもの、つまり大いなる危険や、勇気や、死の恐れの中での生活が残されていた国からやってきた。サビナはフランツに人間の運命の偉大さへの信仰をとりもどさせた。サビナの姿に彼女の国の痛々しいドラマを重ね合わせることがよりいっそう彼女を美しいものとした。」

(第3部「理解されなかったことば」

しかし彼女には彼がいうドラマも、監獄、迫害、禁書、占領、戦車という言葉と共に汚い、微塵もロマンティックな響きすらもたないものでしかなかった。唯一自分の祖国への郷愁を誘う思い出として響く言葉は彼女には「墓地」だけであった。

サビナが所有する山高帽は、彼女について語る象徴的なアイテムとして作品中で使われる。

最初はある前世紀に田舎の町長をしていた人物の思い出の品として、そして次には彼女の父親の記念の品という意味が追加される。父親の葬儀で兄が両親の遺産をすべて自分のものにしたのに対して、彼女の自尊心は権利の主張をすることを拒み、そして皮肉をこめて、父親からの唯一の遺産としてこの山高帽を受け取った。亡命時にも手放さなかったが、それ以降はやがて単なるセンチメンタルな物体、つまり過ぎ去った時への記念の品に変わった。
しかしそれ以前には、このアイテムは彼女にとっては特別な意味を持っていた。それはトマーシュとの「愛欲のための営みの小道具」としてある日突然に。
プラハにあった彼女のアトリエへトマーシュが尋ねて来た時、彼はサビナにその山高帽をかぶせ、ふたりして鏡に映るその姿をしばらく眺めていた。が突然、訳もなくその姿に興奮を覚えていた。それ以来これは彼女が意識して育ててきた自分の独創性のシンボルとなり、サビナの人生という作品そのものを完成させるためのモチーフへと変容していく。

「当時彼女が鏡の中の自分を見たとき、最初の数秒というものそこには滑稽な状況しか見て取れなかった。しかし、突然、滑稽なものは興奮によってかくされた。山高帽は冗談を意味するのではなく、暴力、すなわちサビナに対する暴力、彼女の女性としての尊厳さへの暴力を意味した。薄いパンティをはいたむきだしになった両脚の奥にデルタが透けて見えた。ランジェリーは彼女の女性としての魅力を際立たせ、堅い男性用の帽子がその女性らしさを否定し、暴力で犯し、滑稽なものに無理やり置き換えた。トマーシュは彼女の横に服を着たまま立っていたが、このことからも、二人が見ているこの本質は、あるふざけたものではなく(もしそうなら彼も下着だけになり、山高帽をかぶらねばならない)、屈辱であるということになる。その屈辱を拒絶する代わりに、彼女はまるで自分の意志でしかも公衆の面前でレイプさせようとするかのように、誇り高く挑発的な仕草をして見せたが、突然もうそれ以上は耐えられず、トマーシュを床の上に引き倒した。山高帽は机の下へと転がっていき、二人は鏡の足元のじゅうたんの上をころげまわった。」

ジュネーブのフランツが、愛人であるサビナのアパートで逢った時に、偶然鏡の前で彼女はこの帽子を手に取り被ってみる。自分の姿を見つめながらフランツに向き直った時、彼はその意味をつかみかねたが、その悪戯に微笑を返した。しかし彼女はなおもその姿で向かい続けたために彼は一瞬困惑し、彼女からその帽子を優しげに取り去る。
生きるとはサビナにとって見ることであると語られる。この二人はお互い一緒に過ごし愛の行為に浸り合いながらも、まったく別の見方で世界を知覚していた。かつて彼女は彼に自分が墓地をよく散歩したことを話した時、それを聞いた彼は身震いした。彼は墓地は骨と石の汚いはきだめだと呼んだ。その瞬間サビナは彼が何を考えていたのかを理解し、彼との関係の中に裂け目が一瞬にして口を開いた。
ジュネーブで4年を、パリに移り住んでから3年目に祖国のチェコから手紙を受け取った時、トマーシュとテレザが死んだことを伝えられた。その時、モンパルナスの墓地を歩きながら彼女は少しの後悔をもって、フランツとのことを思い出す。あの後すぐに彼女は彼のもとを発ったのだったが、少しぐらい我慢しなかった自分を悔やんだ。このふたりの不協和音の溝は長い時間をかけて少しずつ埋まっていったかもしれなかったと考えた。しかし何かが彼女を急き立てていた。今もパリにこのまま留まることはないのを彼女自身知っている。そしてこの先に終わりがあることを想像するのは耐え難いことであった。先へ、先へとこのまま「逃亡」を続ける彼女が向かう先は何処なのだろうか?

大行進

「ロシア帝国のこれまでのいかなる犯罪も巧みなものいわぬ陰にかくれて行われた。50万人のリトアニア人の強制移住、何十万というポーランド人の殺害、クリミア・タタール人の絶滅、これらすべてのことが写真という記録なしで記憶の中に残った。ということは何か実証不可能なものだから、遅かれ早かれ嘘っぱちであるといわれる運命にある。それに反して1968年のチェコスロヴァキアへの侵攻は全部が写真と映画に撮られ、全世界の記録保管所に保管されている。
チェコの写真家やカメラマンは彼らだけができる唯一のこと、すなわち遠い将来のために暴力の画像が失なわれてしまうことに意識して抗った」

テレザは当時1968年のソ連軍侵攻の時にプラハに居合わせたプロのカメラマンのひとりだった。田舎の温泉町でウェイトレスをしていた彼女は、トマーシュと出会い、偶然の一致の中に勝手な運命を見て取る。駅まで彼を見送り、トマーシュは去るが、トマーシュに会いたいがために、テレザは自分の全生涯を鞄に詰め込んでプラハまでやって来る。雑誌のプロ・カメラマンはサビナの協力でその地で手にした職。外国の新聞に掲載された写真が捉えた当時の様子は、クンデラ氏がこの作品の中で表現している。

「そこには戦車や、威嚇のこぶし、破壊された家や、血まみれの赤青白のチェコ国旗で覆われた遺体があった。猛スピードで戦車のまわりを走りまわり、長いさおにつけられた国旗を振りまわすバイクに乗った青年達。またはセックスに飢えている、かわいそうなロシアの兵隊たちの感情を刺激する信じ難いほど短いスカートをはいていた若い女の子たちがいて、彼女たちは彼らの前で誰かれとなく傍にいるチェコ人たちと次々にキスをしていた。私がかつていったように、ロシアの侵入は単に悲劇であったばかりでなく、不思議な(そして、けっして誰にももう説明できないような)幸福感に満ちた憎悪の祭典であった」

「プラハの春」といわれたある特別な一時期をチェコの人々は送っていた。ソ連型の社会主義国であっても「人間の顔をした社会主義」を謳い、自由な風物、気風が街中に漂っていた。それが活気となって人々に生を与えている。

この運動はサビナがいった監獄、迫害、禁書、占領、戦車という言葉が示す一党独裁のソ連共産党政権下で行われた圧制の反動で起こったものだったが、ソ連は黙認するだろうと当初彼らはたかをくくっていた。そこへ軍隊が進攻したのである。以後20年以上の間、ベルリンの壁の崩壊を見るまで、さらなる監視と締め付けの下で国民は喘ぐことになる。

氏が記す、ミニのファッションにしても、キスにしてもそれは彼らが死守しようとした「自由」の象徴であった。
「幸福に満ちた憎悪の祭典」。その自由の象徴を武器にして、侵略者に対する憎悪を剥き出しにした抗議であった。しかし幸福感とは?そこにある種の幸福感が宿っていたという。この幸福感に満ちた高揚を連携した群集の輪の中にいてテレザも感じていたことであろう。

故郷でウェイトレスをしていた頃、注文を待つ間『アンナ・カレーニナ』を読みながら、しかももうその本ばかり何度も読み返していた。何かを望み、何かを得るためにそのようなことをしていたわけではなかった。トマーシュに会いにプラハへ来て、いざ彼の前に立った時、お腹が空いて自分のお腹が大きな音を立てて鳴ることが耐え難く、彼女は泣きたくなってしまった。ひたむきで純真なイメージだけでなく肉体をもった女として、無意識にも、無であるためにそこに存在していたテレザが、トマーシュに見出され、彼女は時代のうねりの中に身をさらし生を実感していた。高揚感はその重みに触れている彼女たちの喜びであろうと思う。

●カレーニンの微笑

トマーシュがテレザのために貰い受けた子犬。彼女が予告もなくプラハにやって来た時、脇に抱えていた本のことをトマーシュは思い出し、トルストイと名づけてはと提案する。
テレザは反対だ。

「だって女の子よ。アンナ・カレーニナだわ」
「アンナ・カレーニナというわけにはいかないな。だってこんなおかしな顔をしているご婦人はいないし、そう、どっちかといえばカレーニンだ。そうだ、カレーニンがいい、まさにその名前からはこんな顔が想像できる」

カレーニンの友達メフィストは。
「カレーニンはメフィストを初めて見た時、うろたえ、長いことまわりをまわっては、臭いを嗅いだ。しかし、すぐに仲良くなり、村の犬たちよりも好きになった。その犬たちは犬小屋につながれており、理由もないのにしょっちゅう吠えていたので、馬鹿にしていたのである。カレーニンは珍しい友達だと正しく理解し、豚との友情を大切にしていた」

(第7部「カレーニンの微笑」

チェコ人は犬好きな国民として知られる。カレル・チャペック氏がよく著作の中で犬について愛情をもって記している。犬に対する愛情?モノや、そして人に対する愛情とは違うのだろうか?愛のカテゴリーに加えるにはあまりにも自然なものに思える。ご主人が大好きなカレーニンの無償な行為に、繰り返される単調な日常生活の中に見出される「幸福」というものをテレザは気づかされていく。ある日カレーニンの様子がおかしいことに気づくテレザ。片足を引きずっている。トマーシュが診てやるとカレーニンは病に冒されていた。

●試論「サビナの逃避行」

画家であるサビナ。彼女は絵画を描くという手段で何ものかに抗って生きていく。いってみれば終わりのない抵抗の生涯を送っていた。未知を目指す「裏切り」の行為によってそれは興奮と喜びに満ちたものだったが、しかしそれが行き着く先は?抵抗の対象は世界のすべて「俗悪なもの」だった。「存在との絶対的な同意」が生み出す「美的な理想」、それが 「キッチュ(俗悪なもの) kitsch」の意味だ。しかしその生き急ぐ裏切りの行為は一方で老いへの恐れからの逃避だったのだろうか?そうではない。題名の『存在の耐えられない軽さ』とはこの時サビナについて語られた言葉だった。自分が進む道がいつか終わるとしたら、そう考えた時彼女を虚しさが襲う。この空虚さが彼女のこれまでの「裏切り」の目的地だったとしたら。トマーシュの息子からの手紙で、彼とテレザが死んだことを伝えられた時、その知らせから彼女は立ち直ることができなかった。彼女を過去に結び付けていた最後の絆が途切れたことを知ったからである。このサビナの問題はクンデラ氏の次の作品へと引き継がれていく。

4 Comments
  1. 補遺1:この記事は、ブログ『moment 編集』(第3期後記)の記事単行本化(2008年)に伴って新たに寄稿したもの。特集『Clown Philosopher』の一編。今回新たに再掲したもの。

    森山ゆうこ氏をタイトル画として当時の記事に使用したのは、何故かこの写真がイメージに合っていたからと記憶する。

    キャッチ画像にある仏語原書は所有していたカバーデザインが同版のもの。記事で触れた再購入した「文庫本」は、これを今ここに記している2017年2月11日現在もまた、書籍類は手放してしまったためにもう手元にはない。

  2. 語句補遺1「A.ランボー Jean-Nicolas-Arthur Rimbaud」:

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    1854年フランス・アルデンヌ県、シャルルヴィルに生まれる。10代の頃に数度にわたり家を出奔。晋仏戦争後のパリ・コミューン期(革命自治政府)に動乱の首都を徘徊する。17歳でヴェルレーヌ夫妻の元に仮寓、4年後『イリュミナシオン』の原稿を彼に託し以後、詩人としては再び文学史上には二度と現れることがない。1873年10月、自ら意図し唯一公刊された『地獄での一季』は、費用が未払いだったために計500部余りが30年近く倉庫で眠り続けることになる。見本用の数冊が知人の手に渡っただけであった。1891年11月14日午前10時死去。

  3. 語句補遺2「フランタの愛犬バウチャー」:

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    ズディニェク・スヴィエラーク(Zdeněk Svěrák)監督の映画『ダーク・ブルー 』(『Dark Blue World』)から。
    もう逢えないことをバウチャーは感じているのか、イギリスへ向かうフランタのオートバイを追いかけついてくる。
    ドイツ軍に占拠された自国の空軍基地を去り、祖国や恋人を想いながら国を去るフランタ。イギリスへ渡り義勇兵として軍隊に参加するつもりで、大切な愛犬も恋人に預けていく。でも自分が置いていかれる理由が理解できないバウチャー。2人にとって悲しい別れの場面だ。

  4. 語句補遺3「Nesnesitelná lehkost bytí」:

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    クンデラ氏の母国語タイトル。長らく祖国では出版禁止だったためこの仏語によるタイトルで1984年に出版され先行。
    氏は翻訳された自身の作品にも厳密なチェックをする事で有名だが、仏語のFOLIO版(上掲写真)は氏自身により、原書チェコ語と同等の作品であると認めている。
    写真は1968年8月21日撮影。旧ソ連軍による戦車部隊が首都へ侵攻、市民の様子。

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