be there


「せんそうはどうしてなくならないの?」

こどもが私に尋ねた問いだった。それに対する明快な回答を私は持ち合わせていなかったし、その戦争について語るにふさわしいものが私の中にあるとは思わない。また、こどもに対して偽善的に「善悪」を語りたくはなかった。でもこれはとても大きな問題へ続く問いだ。私なりに自分の考えや、実際に目にしたことをこどもに語り始めた。

こどもは時々大きな問いを投げかける。

どういうつもりで尋ねているのかはかりかねる時もあるが、単純明快な問いであることに違いはなく、また、その問いに丁寧に答えてあげても一体に聞いているのか、集中力がそこまで続いているのかわからない時も多い。
先の「せんそうはどうしてなくならないの?」の問い、この問いの前には、子どもは、「どうしてせんそうでにんげんどうしがたたかってころすの?」という問いをすでに発していた。

一年前、保育園に通い始めて間もなく「ゾンビ」ごっこに続き、「戦争」ごっこを覚えて来た。ペーパークラフトの武器を作るのが好きな友達と仲良くなって、いつも本格的に作り込んだダンボールの「武器」を持ち帰って来た。完全に「ミリタリー」系にハマってしまった感があったし、映画好きな自分でもアクションや戦争モノは見ない自分の好み・影響とも思わないが、タブレットのゲームもそんな戦争モノのゲームを選んでダウンロードしてあそぶようになった。

子どもはよく、相手とコミュニケーションを取ろうとして、簡単な質問をすることを随分と幼いうちから覚えたが、「〜の中で何が一番好き?」とはよく何度も質問してくる同じフレーズだ。その日も子ども自身で作って来た「武器」を手にして、タブレットの第二次時世界大戦時の「スナイパー」ゲームをしながら自分に尋ねた質問が、「この武器の中でパパは何が一番好き?」というものだった。

武器に関する質問が最近多くなって来たし、多少意地悪する気持ちで、「⚪︎⚪︎君、武器はパパ好きじゃないなぁ」「なんで?」「武器は人を殺すための道具でしょ?」と答えた。しかし「ウソのゲームだよ」と子どもは切り返す。
映画もゲームもフィクションの中の遊びだという認識はあるようだが、親としてはそれをゲームや遊びにしてほしくないなぁという気持ちはあり、「人を殺すことをゲームにするって酷くない?」といえば、「パパも武器使ってせんにゅうするゲーム持ってたよね」と言われた。まぁ、確かにそうだ。

大人になってからゲームデビューが遅かった自分は「バイオ」と「メタルギア」というゲームに一時期ハマったが、結婚してからはそのようなものに割く時間も、バーチャルな実態のない虚構なものに満足する必要もなかった(純粋に楽しんでいたというわけではなかったのか、映画や劇舞台、音楽もどこか満たされない実態と虚構との緩衝として自分にとっては長い間機能していたのかもしれない。少なくとも自分にとってそれらは、山登りや旅、学芸員や博物の勉強にしても他者につながるための何かではあったかもしれない)し、こどもが生まれて以来、家族との現実が全てになった。こどもには言い訳しておいた。

ただ、武器や紛争・武力対立をめぐる現実は、私やこどもにとっては虚構の中で遭遇するものでは決してなかった。私は、好きか嫌いかという「感情」の問題と、自分を利する「利益」の問題についてこどもに話そうとした。自分が見たもの、私の子どもが幼少時、実際に海外で置かれていた世界の実情について話しながら。

余談になるが、こどもが保育園に通い始めて、ある時、ヨーロッパの何処かの国で馬車が利用されていることを話していた友達に、インドネシアでも馬車が走っているよと私のこどもは、こども自身、自分が見たことについて話しただけだったのだが、それがその友達の何を否定的に反応させたのか全くわからないのだが、インドネシアなんかには馬車は走っていない、そんなの嘘だと言われたそうだ。続けてその友達に同調するように、別の子にも仲間を引き連れながら、何が否定的な反応を呼び起こしたのか、インドネシアは汚い貧乏な国でクルマはみんな日本の中古車を乗ってるんだといわれたそうだ。私の子どもは何も言わずにそのまま私にその話をしただけだったが、この国について多くの日本人がイメージしているものは一体いつの時代のものなのか、あるいは情報源は何に基づくのだろうかと素朴に思った。

私はこどもに、その子に聞いてみることとして、「何々くんはインドネシアに行ったことがあるの?」とまずは聞いて見なさい。そして、相手に自分もインドネシアへ滞在していたこと、実際に馬車に乗ったこと、スルタンと呼ばれる王様たちがいてそれぞれ宮殿のある街は伝統をみんな大切にしていて人も場所もとても綺麗であることを教えてあげなさいと伝えた。
自動車に関しては、その子に、だれ、あるいはどこからその情報を知ったのかまずは聞いて見なさいと教えた。

現在のインドネシアの経済情勢や大規模都市開発等についてここで詳細は記さない。ただ、しばしば長期滞在したインドネシア共和国は、今後100年間で世界の中心の一つになる首都ジャカルタを抱える。増加人口比数も急速に減少を続けていく日本の比ではない。つまり国や人々が元気なのだ。イスラム圏最大のムスリムを擁し、商業を奨励するイスラム教徒の女性たちが生き生きと働く姿には、この例えで分かってもらえるか分からないが、『もののけ姫』のタタラ場で働く女性たちのすがすがしさ豪胆さおおらかさを彷彿とさせる。

もっとも、階級・階層社会は厳然と残り、先端医療の分野で世界的にも抜きん出ている反面、社会保障制度も米国同様になく大部の持たざる国民を切り捨てている。出産時に感染症で死亡する乳児も未だに高いとされるし、物質的な豊かさを求めて多くを占める富裕層による消費が貪欲になっている反面、堆積し処理能力を超え河川に捨てられるゴミ・汚物の問題やストリートチルドレンを路上で多く見かけそれをビジネス(24時間制の物乞い)として貪る大人も多い。

また、インドネシアはテロの攻撃対象にもしばしばなり、アチェの独立闘争およびこの州の国の法律よりもコーランを重んじ警察力が市民生活に介入している国情があり、実弾を装填した部隊が街頭で警護しているのは日常的な風景だ。セキュリティに関しても日本の感覚とは全く違う。これはインドネシアだけでなく、知る中ではパリや中米のコスタリカ、米国も同じだと思った。

ジャカルタのプレス・タワーへ出入りしていた時の外来者に対する1階フロアーの厳重さ物々しさは当然で必要なものと思えるが、一方で私の子どもなどはセキュリティ・ゲートを下からいつも潜り抜けて周囲や大勢のスタッフを笑わせていたし、笑って許容してくれるだけの人間的な寛容さがあった。やがてすぐに顔を覚えてもらってフリーパスだったこどもをファーストネームで呼びみんな温かく迎え入れてくれた。大人が舌を巻くあるいは相手が大笑いするほどユーモアのセンスを持ち、一人前にデスクに肘をつきながら相手と長いこと談笑している等、子どもは現地語を短期間で流暢に母国語レベルで話せるようになっていた点は大きかったかもしれないが・・・

人は、どこにいようと、自分の感情、心に従い、心をオープンにし自分の頭で考え世界と繋がっているものだ。

しかし世界は、貪欲で自己本位であるがゆえ未だ紛争中である。日本の中で暮らしていると世界は平和であると錯覚する。そして多くの国同士が対立の構造の中にいて、日本もしっかり片側あるいは両者に対して無自覚に加担していることがわからなくなっていく。
保育園での例に見るのは、異なるものを攻撃あるいは排斥する構造で、人も、その背景にある文化や習慣、成育環境は皆んな異なっているのだから、その当然だということに思い及ばずに無意識に排斥するか攻撃の対象にしている。理由は身内同士を保守的に因習的に利し保身しようとするからだが、攻撃や排斥する点では紛争国の間にある争いと同じ構造である。異質だと認めることで対話も可能になるが、これは相手を異なるもの、異なった考えを持つものとして寛容できないのだ。

ここまで記し子どもの問いの話に戻る。

私が話している途中で聞いているのかすでに分からないまま、子どもは別の話題に興味を示し、「ねぇ、パパ」と言って、私にもその別の話へ注意を喚起させる。
この問題はそれで終わったと思っていたのだが、ある日、数日経ってから寝る前にこどもが1つ目の質問をしてきたのだった。それに続き、しばらくしてから2つ目の質問を発した。最初に掲げた「せんそうはどうしてなくならないの?」の問いがそれである。

子どもは子どもなりに考えていたのかもしれない。時間をおいてから、話など聞いていないと思っていても、実際にはしっかり聞いていて、ある時スパッと私が言ったことを繰り返してもう一度質問してくることがある。今回もそれだ。これらの問いについては先の自分を利する「自己利益」について例えを代えて繰り返し話した。また、こどもがよく使う「敵」と「味方」という子どもの認識、言葉を、ここで相対的に解体しようと試みた。世界は分裂しているという話だ。それは、その分裂には敵も味方もないという事。

今年、こどもを初めて広島の平和記念公園、平和記念資料館へ連れていこうと思った。何かを意図的に見せたいと思ったわけではない。小学一年生の私のこどもにはまだ早いと思っていたからずっと後に一緒に連れてこようと思っていた。ここへ行く前にこどもには、あの「巨神兵」が口から放った熱光線が炸裂して大地が燃え大きく破壊された場面を例えに、「せんそう」中にそれと同じような爆発がこの上空で起り街も人も一瞬で無くなってしまった事、石段に人の影が残っている展示物を自分も高校生だった時に初めて見た事を話した。その後も再び「ナガサキ」とともに訪問したことを話した。

どの展示物も大勢の外国から来日してこの地へ訪れた人たちで一杯だった。最初子どもは原子爆弾の模型や、臨界させたウランが連鎖的に核分裂を起こし大きな閃光(熱エネルギー)を放つシミュレーションに興味を示していた。こどもは屈託なく朝の公園や川辺、当資料館でいろんなものについて発見したり質問してきたが、館内を占める多くの外国の方の表情やその雰囲気に子どもはやがて怖いようと言い始めた。そこで足早に資料館を退出することにした。その後、私たちの小旅行はホテルに戻ってから子どもが持参したエヴァンゲリオンのプラモデルに完全に飲み込まれた。

ここ数日ずっと、作りかけのプラモデルを持ちながらエヴァンゲリオンの話を私にし続けている(学校ではクラスメートではまだついていけず忙しい担任の先生を相手にその話ばかりしていると聞く)彼は、学校の修学旅行でこの地へ再び訪れるはずだが、そこにいるということの意味と、今は何を見てそれが何だったのか何もわからないくてもいいと思った。ただ私とこの地へ来たことをその時に思い出して欲しいと願った。

最後の写真は平和記念公園内にある「青い鳥」の像。場所はちょうど「原爆ドーム」脇の川岸側に位置している。

One comment to “be there”
  1. 付記:帰路で、行きに見かけた犬の繁殖場に立ち寄った。映画『ペット2』を観て以来、ネコからイヌを飼いたいと言っている。ダンボールで「ドラえもん」に出てきたペロというキャラを作ったり、今まで「ジジ」に押されて部屋の隅に放置されていたしゃべるイヌのぬいぐるみを手元に置き、突如と昇格。『ペット』も何度も観出した。この通り、すぐ影響されてしまうのだが、この程度ならやはり幼い子どもらしくて可愛いものだが、実は一番恐れていたことがやはり起こった・・・

    何かを子どもはダンボールでよく一心に作っているのだが、その日もなにやら作っていて、何作っているの?と聞きかけて、ギクッとした。彼は事も無げに「原子爆弾」と言った。「えっ!?何で?」。「この町に落とすんだ」と楽しそうを通り越して、不敵な笑いを含んで悪魔的だった。

    この「町」というのは、自分が好きなエヴァンゲリオンの舞台にするために作った車や人、ビル群の可愛い「町」のことだ。ダンボールで非常に精度高く作った「原子爆弾」を落とすというのだ。やっぱりって感じだった。子どもながらに、何か危ない思想的なもの、危険な傾向がそこに潜んでいるのかは全くわからないが、爆弾を落とそうとしているのは「使徒」らしく、私に語った彼のシナリオでは、それをエヴァンゲリオンが阻止するという設定らしい・・・まあ、いいでしょう。

    「こどもがよく使う「敵」と「味方」という子どもの認識、言葉を、ここで相対的に解体しようと試みた。」とここで上記したが、私が宮崎駿氏の、「ナウシカ」をはじめ、多くの作品が好きな理由の一つに「敵」を「敵」として描く視点がないという点だ。子どもが好きなこのエヴァンゲリオンも初めは味方の”ヒーロー”であったものが段々と、実は全く違ったものであることがわかってくる。これも「敵」や「味方」と白黒つけられないものを、子どもは子どもでしっかりと自分の好きなものの中から理解しているようだ。

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