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山頂直下の屍
A dead wild bore under the northern summit of Fuji

アーネスト・ヘミングウェイの書いた短編の中に『キリマンジャロの雪』という作品がある。彼はその中の冒頭で、キリマンジャロの西側山頂下には凍てついた一頭の、豹のミイラが横たわっているという言い伝えを聞き挿話として記した。
私は富士山北側の山頂直下で、雪に埋もれたイノシシの屍を見た時にこの作品のことを思い出した。

その年は例年にない積雪の多さが7月下旬になっても深い残雪の量を記録し、山頂までの一般登山がしばらくは禁止されていた。気温が一気に上がった時、雪の下から巨大な雄の、成獣だったその姿を完全な状態で現した。山頂下のくぼ地へ辿り着いた時に力尽きたのだろう。遺体の状態を見ると、通常は、ここは標高が高いためにバクテリアの繁殖が抑えられ腐敗作用も緩慢なものになるが、腐肉に群れ捕食するもの達に真っ先に攻撃されるはずの眼球がまだそのままの状態で残っており、からだも損傷がまったくなく、緑がかったツヤのある毛並みが溶雪に濡れて光っていた。降雪が伴う中で雪原を彷徨いここまで登って来て斃れ、遺体が喰い荒らされるか、腐食作用が働く前にすぐにそのまま雪に埋もれてしまったものと考えられる。

遥かに下の、その眼下には樹海が広大な領域を占めて、富士の裾野一体に広がっている。本来そこが彼らの生息域だ。この一頭の獣はそこから抜け出て、ずっと上まで、標高2,000m地点までは辿り着いただろう。広域で豊富な原始の森の棲みかを離れ、他に餌を求め、あるいはテリトリーを追われたか、何らかの理由で、高所へ向かい、迷ってしまったのか。もともと広範な活動領域を持つイノシシは、あそこまで巨大な獣であればさらに体力的にはこんな高い地点まではやって来る場合はあるかもしれない。しかしそこから上は森林限界で樹木はなく、砂礫と岩襞の険しい尾根が頭上に続き、あたりは見渡す限り黒い溶岩質の無生物で広大な原野のみであるのに、風だけではなく身を隠す場所もなく、そんな剥き出しの状態に自らを置きながら、そこを再び越え出でてさらに高度をかせぎ、上部へとのぼり詰めた。既にその場所は、風を通り越し、ただ大気が唸りせめぎ合う空間となって、高所厳冬期の大寒気に身を曝されながら、森林限界を越えてからさらに1,700m以上も上に登って来たことになる。最終的には山頂下の遺体が発見された地点まで達しているが、それはまるで頂上を目指していたかのようだ。その異常なまでの広範な活動域と体力、彼は自分の死を以ってその行動をそこで止めたわけだ。ここまで辿り着いた経緯は。一体何のために。こんな高所まで何故。一体どんな理由があるというのか。ヘミングウェイでなくとも、一頭の獣が求めていたものが何であったのか、疑問に思わずにはいられない。

●美と地上の間にある「死」の対比

キリマンジャロの雪』は、男と女の会話で始まっている。場所は定かではない。キリマンジャロの名は作品中に一度だけ見え、その視界に見える姿が描写されている。おそらく、ふたりがいる場所からもその山容をあらわす景色が、記述はないが、遠くにかあるいは眼の前に聳えるのか、山はそこに見えていると思う。固有名詞は情報の特定に非常に役立つが、物語中では場所を特定する言葉は出てこない。サバンナの大地ではどこへ行くにもキリマンジャロの雄大な姿を見止めることができるが、そんな不特定なアフリカのとある大地の上に彼らはいる。物語後半に、待ち続けた飛行機が駆けつける場面で、2度、給油地としてのアルシャという都市の名が出る。そして車が故障した結果、たった今、野営を余儀なくされている時、雇ったある部族の「運転手」を女は責める。その時「キクユ族の」と部族名が出る。男は、右脚に壊疽を負い、ふたりは一人の幼いポーターとその場所で野営をして助けを待つことにする。作品は、そこで交わされる会話と、様々に思い出される昔の事の回想によって語られていく。

アルシャはタンザニア北部にある都市。キクユ族とは主にケニア中央部に住む、バントゥー語群系農耕民。居住地は首都ナイロビに隣接していたために、他部族よりも、白色人種の入植により、早くからその剥奪や排除、労働使役の災厄に遭い、現在も問題を抱える。政界へ進出する人物も大勢輩出している。彼らが施す国の政策が、まだ多数存在する、マサイ族等の伝統や生活を守り続けている部族社会と衝突や対立の構図をも生んでいる。ノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マ-タイ氏はキクユ族の出身であり、日本では植樹活動や「モッタイナイ」運動で彼女はよく知られる。

この作品は1936年8月に発表され、ヘミングウェイは前年の1933年11月にハンティングを目的とした遠征ツアーに初めて出発している。同年12月ケニアの首都・ナイロビに到着。1934年2月にサファリ・ツアーを終えているが、先の1月にアメーバー赤痢という急性の伝染病にかかりナイロビの病院に入院している。

作品がこの時の、公然とした周知の事実体験を基にして執筆されたことは間違いがない。しかし、あいまいにされているとはいえ、作中で記述される情報と実際の作者自身の事実事項は合致しない。つまり作品は彼の事実を記しているわけではないということを再度確認しておこう。また、執筆に際して「目に見え、音に聞こえ、味わえる」ような記述を自分の小説の信条にしていた彼が、回想される事が具体的で彼の体験に基づいているのを別にしては、曖昧で確定的な状況設定を避けて物語を始めたその理由も明白であろうと思う。

作品中では、男がやがてすぐにも赴く場所として「死」が観念的に美化されている。

Then there were other mountains dark ahead…
and looking down he saw a pink sifting cloud, moving over the ground, and in the air, like the first snow in a blizzard, that comes from nowhere, and he knew the locusts were coming up from the South. Then they began to climb and they were going to the East it seemed, and then it darkened and they were in a storm, the rain so thick it seemed like flying through a waterfall, and then they were out and … and there, ahead, all he could see, as wide as all the world, great, high, and unbelievably white in the sun, was the square top of Kilimanjaro. And then he knew that there was where he was going.

「それから前方に別の山脈の闇があった。(略)そして見下ろしながら、ピンク色の差し込んだような雲を見た、大地の上を移動しながら、大気の中で、それは何処からともなくやって来た、吹雪の前兆のように、そして彼は蝗(イナゴ)が南方から向かって来ているのを知った。その時、彼ら(機体)は上昇し始め、東方に向かっているようだったが、その時、辺りが暗転し、嵐の中に入った。雨は分厚くそれは滝を潜り抜け飛んでいるようだった。とそこを抜け出す、(略)そこには、前方に、すべて目に入るものは、それが全世界であるかのように幅広く、大きく、高く、そして太陽の中で信じ難いほどの白さをもった、キリマンジャロの頂上面であった。彼は自分が向かっている場所をそこに見出した。」

冒頭、男のやがて来る死の臭いを嗅ぎつけたように鳥の群れが辺りを舞い始める。こうして地上的な死のイメージが象徴的に記述され、喚起されていくが、後半の、女が耳にするハイエナの鳴き声は彼の死期が近いことを暗示し、女に不安を覚えさせる。そして彼女が怖れていたことは最後に現実的に暗に示され物語が終わる。ハイエナが上げる高い声が無残で静かな暗い死のイメージを読み手にもたらしながら。

一方で、飛行機が実際に迎えに来て男を運び、飛び立ったことを読者は先に見届けていたはずである。この不確かな結末に先行し、オーバー・ラップして、男の視点が捉えるキリマンジャロのイメージも同時に描かれているのだ。機内上空から見下ろす地上の情景の記述と共に。目の前に広がる広大で美しいキリマンジャロの姿に「死」のイメージを投影させながら、自分はそこへ行くのだと男は言い、物語はこの山の、雪と光に包まれた白い峰の描写で終わる。

この作品は、内容自体はフィクションであったはずが、不幸にも晩年の彼に起こった事故を何か予言的に暗示してしまっている。それを彼自身はこの時にはまだ知るはずもないことだっだ。

●「神の家」の伝承と「美」の信仰

作品ではキリマンジャロの西側山頂は、マサイ語で「神の家」といわれると記されている。マサイ族はケニアとタンザニア北部に住む原住民で、一神教の信仰を持つ。彼らはキリマンジャロの山頂に鎮座するエン=カイと呼ぶ神を崇め、西側の頂はその神が住まう場所だと彼らは信じている。
旅先でチャガ語を解する女性に出会った事があり、「キリマンジャロ」とは、チャガ語で「不可能な旅」を意味すると聞いたことがある。このチャガ語を話すチャガ族は、タンザニアの3番目に大きな民族グループで、モシ地区として知られるキリマンジャロ南東部の裾野に居住する農耕民だ。キクユ族と同じ、南部・中部アフリカ(赤道以南)のアフリカ全域に広がるバンドゥー語群に属している(スワヒリ語もこの語群に属す)。彼らの古い伝承の中に観るのは、キリマンジャロは「悟りの源」であると考えられていた事だ。人々はその頂に到達しようと挑み、そして理由が語られることもなく、誰も帰って来たものはいなかったという。
「不可能」とはおそらく、時間的な「不可逆的」の意味であったろうと考えられる。つまりは生の終焉、「死への旅立ち」という意味だ。ヘミングウェイがこの言い伝えを聞いていたのかは分からない。ただ、地上から見た、雪を頂き輝いているその美しくも広大で厳しい峰が、彼らにはどのように映っていたのか、それを彼らの伝える伝承から十分に想像できる気がする。

美を伴う世界。男が、死に行く自分が今赴く地であると悟ったように、その地は美をそなえ、神がすまう場所である。過酷な気象条件や、踏み入れたもの達が戻っては来ない、高所からくる特殊な環境等、そこから人知の及ばない神聖で未知の世界があると考えたとしてもまったく不思議ではない。
豹の屍の挿話は、男が悟り赴くと信じた美しい世界と、その地上的な意味での、女の視点に映った男の現実の、死の様子という対比が、象徴的に表されたものである。豹は現実にその屍を頂の直下でさらすことになるが、しかしその伝説が宿る地まで辿り着き力果てた。

しかしこの対比には、現実の姿、「実相」の残酷さを思わないではいられない。残酷とは人間的な感情レベルでの反応である。そしてこの残酷で、冷酷にもただ沈黙だけを守る現実というものに付加された「美」。豹が、あるいは男が抱いた美の幻影に、それを目指した先が死というものであっても、そこへ赴いた存在者の行動が大きな意味を持って問いかけをする。何故そこへ赴いたのか? 何を求めるためにその地へと行く必要があるのか? 答えは無であろうと思う。何を求めた訳でもなければ、理由があってそこへ向かったわけでもない。ただ、そこへ向かい、生尽きた時にその行動が已んで終わった。それだけのことだ。
終焉の地は目指すゴールでもなければ、「神の家」でもない。ただ朽ちて、あるいは凍てつき干からびた屍となってその姿を曝す場に過ぎない。他者が見た、外観的な、視覚的な光景は、ただ単純で簡潔な冒頭の短い記述の中で完結している。しかし、伝説や幻影、美化した虚像・偶像の類を廃して、その屍の本人以外には決して分からず理解されないものがそこには存在し、先の問いとなって現れる。この豹、あるいは男の存在とは? 生とは一体どのようなものであろうか?

●樹海の循環システムと動物の生息域

富士の山はキリマンジャロと同じ独立峰である。それは尾根によってつながる他山の頂をもたない山を言う。厳密には、円錐形の富士も、いくつもの峰々を有している。しかし一応は独立したひとつの山と見做されている。北側斜面、6合目から見上げる山容は、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロに非常に似ている。その麓、太古の森・樹海を生存の土壌にして生息する生物層も多種多様といえる。
死したイノシシのその行動の動機や彷徨の理由を、彼を人格化して、存在論的に問う代わりに、生物学的に見た解釈を以下簡単に試みてこの記事を終えることにしたい。

富士一合目の「馬返し」から青木ヶ原の樹海に足を踏み出していくと、急に足元から冷気を感じ、ひんやりとする。水気を吸った倒木や腐葉土を通り越して、下層の岩盤から発するものだ。堆積した葉や土壌の層は意外にも薄い。樹海全域はかつて富士の噴火により流れ出た溶岩に覆われていた。そのために長い間植物が生えず、マツ科の強い植生をもつものがこの地を独占していたが、その植物すら溶岩質の岩盤を突き破って根を下ろすことが出来ず、表面だけを覆い、浅く張り巡らされた根は、上空へ生育した木々の重みを支えられずに次々に倒れていく。育っては簡単に倒れていくことを繰り返し、朽ちていった倒木がやがて薄い土壌を形成して行く。そして今の植物層の原形を作った。

●見上げる白き峰、生物連環からの離脱願望

冷気の他に多様な動物たちの存在と「意識」を感じる。それは時折見つける排泄物から、また鼻を衝く獣の臭い等となって、森の中に確かに流れていた。この地では、常に誰かに見られているような錯覚はそこから来る。日中には姿を見せることのない殆どの動物達が発する、この目に見えない存在の感覚に触れる時。本来の森の姿を想像して畏怖を抱く。闇を保護の術の一つにして生き、またその逆に捕食動物はそれを狩りの重要な武器にし利用している。その森を舞台に展開されている生き死にの様を思う時。一面に充溢する湿度や、植物層を漂う、ほのかな香りを打ち消す獣どもの臭気の所為ばかりでなく、陰惨な森の本来の姿に震える。しかし自然は残酷で慈悲深い、そして美しく素晴らしいという感慨も、このように、そこにドラマを見るのは人間だけであり、生物は我々の意に反して機械的なシステマティックな連環の中で、囚われ、全体のシステムの中の一つの歯車として機能しているだけだ。一つの獣の死は、一つの、別の生をつなぎ、新たな生は一つの獣の死を受け継いでいる。そこに我々人間の感慨が入り込む余地はない。

あのイノシシはこの森の奥深くで、遠く、白く輝く富士の峰を目にしていたであろう。あの高くて雄大に聳える光、峰の向こうに何があるのかと思ったに違いない。囚われた連環の鎖に繋がれ、生体の本能に導かれ、生き死にの中で繰り返される自分の存在が、そこから離れることを望んでいる。彼の意志を持った願望。これは幻想でも、勝手な想像でもなく、我々人類が果たした起原に立ち戻った時にも理解はできる。人がサルから進化したのはいつだったか?いつのどの瞬間だったのか?

身を潜め我々は森で暮らしていた時に、外へ広がった世界、つまり森を出てその外界へ踏み出したものが存在した。そのある個体がとった行動の第一歩は、進化という理論上の法則に導かれて果たしたわけではなく、ある個体レベルでその彼の意志が決定した。勿論、これは簡単に起こるわけではない。好奇心や物見遊山で、一時的な行動だけで、森を出て、平原という危険で無防備な、未知の世界に踏み出すことはできない。しかし我々人類の起原は、ある個体が、ある瞬間に、その連環の輪から自らの意志で離れた瞬間に始まる。そういう飛躍の意志は時を人類の起原にまで遡らなくても、生物の中に奇跡的にして、しばしば起こっていることだ。我が生存を賭した個体の飛躍が、その種属存続の危機を、それが自然の、生存本能によって行われたものであったとしても、結果的に救った特殊な事例としていくつか自分の中では記録している。

山頂へ至るという行動をとり死したあのイノシシが抱いていたであろう願望は何だったのか?それはわからない。しかし、彼の目に富士の頂は限りなく美しい姿で映っていたに違いないと私は信じる。

2 comments to “out of links”
  1. アーネスト・ヘミングウェイ Ernest Hemingway(1899-1961)

    シカゴ郊外に生まれる。1921年から7年間パリで修行時代を送る。『移動祝祭日』はこの時に書かれていた日記が基になる。スペイン内戦、第2次世界大戦に従軍記者として参加。1952年にキューバ滞在中に執筆された『老人と海』を発表しピューリッツァ賞を、続いて2年後の10月にはノーベル文学賞を受賞する。その受賞に先立つ同年1月のサファリ旅行帰還後、ウガンダで搭乗した飛行機が墜落、無事であったが代用機が今度は離陸時に炎上し重症を負う。1961年7月2日午前7時30分自裁。写真はパリ時代のパスポートから。

  2. キリマンジャロの雪

    Kilimanjaro is a snow covered mountain 19,710 feet high, and it is said to be the biggest mountain in Africa. Its western summit is called the Masai “Ngáje Ngái,” the House of God. Close to the western summit there is the dried and frozen carcass of a leopard. No one has explained what the leopard was seeking at that altitude. 
    (The Snow of Kilimanjaro/ by Ernest Hemingway)

    (訳文)
    「キリマンジャロは、高さ19,710フィートの、雪で覆われた山で、アフリカ第一の高峰だと言われている。その西側の頂は、マサイ語で”ヌガイエ・ヌガイ”「神の家」と呼ばれる。その西側の頂に近く、ひからびて凍りついた一頭の豹の屍が横たわっている。このような高い所で、豹は何を探し求めていたのか、誰一人説明したものはいない。 」
    ( 『キリマンジャロの雪、そして他の物語』から冒頭文抜粋
    / アーネスト・ヘミングウェイ著/翻訳:編集部)

    19,710フィート」:
    メートル法に換算して6,007.61メートル。測量観測上では日本の最高峰である富士山・剣ヶ峰よりもかなり高い。

    6合目から見た富士の雄姿は裾の広がりが長大でまるでキリマンジャロによく似て見える。

    山頂直下の雪下から大イノシシの屍が出てきた時、このヘミングウェイの冒頭文を思い出した。そして厳冬期の富士の雪原をさ迷い山頂間近のくぼ地で力尽きてたこの獣のことにかつて思いを馳せたことがある。

    山へ登った動機のひとつはその理由を知るためでもあったのだが・・長い間に山岳帯や森に魅せられてしまった。
    (初出2005年10月21日記)

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