memories and mind

記録と記憶

『遠野物語』 を著した柳田国男氏に 『山の人生』 というものがあります。
その中に「今では記憶している者が、私のほかには一人もあるまい」という書き出しで始まる「山に埋もれたる人生ある事」の中で以下のような話に触れています。

「今では記憶している者が、私のほかには一人もあるまい。
30年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く50ばかりの男が、子供を2人まで、鉞(まさかり)で斫(き)り殺したことがあった。 女房はとくに死んで、あとには13になる男の子が1人あった。そこへどうした事情であったか、同じ歳くらいの小娘を貰って来て、山の炭焼小屋で一緒に育てていた。その子たちの名前はもう私も忘れてしまった。何としても炭は売れず、何度里へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手で戻って来て、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。 目がさめてみると、小屋の口いっぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。2人の子供がその日当りの処にしゃがんで、しきりに何かしているので、傍へ行ってみたら一生懸命に仕事に使う大きな斧(おの)を磨いていた。阿爺(おとう)、これでわたしたちを殺してくれといったそうである。そうして入り口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落としてしまった。それで自分は死ぬことができなくて、やがて捕らえられて牢に入れられた。」

小林秀雄氏が、この話を記述した柳田国男氏の文章を、自分が今まで読んだ中でもっとも美しい文章であると、そう言っていたことを読んだことがあります。

「美しい文章」?

小林氏は記されていることの内容には触れずに「文章」(表現した文体)が美しいと言っている訳です。

柳田国男氏が『山の人生』を著したのが、大正14年1月から8月に雑誌に連載していたものに手を加えて大正15年11月に刊行されたこの頃の事。上記の話もその刊行の時に序文のかわりに載せてみたといっています。
この出来事が起こった時期はそこからさらに30年近くも前の事になります。

大正14(1925)年から30年前は明治28年。前年には日本が清国に宣戦布告をしています。同年11月に海軍が旅順を占領、この明治28年に日清講和条約締結とロシア・ドイツ・フランスからのいわゆる「三国干渉」を受け遼東半島等を返還しています。翌年には第一回のオリンピックがアテネで開催されています。随分と昔のことだと思います。
そんな昔の、歴史の教科書から抜き出した事件が並ぶ同時代に、ある山の中で暮らしていた父親と2人の子供たちのこと。季節はちょうど11月の今頃のことです。

子供たちの父親は60歳近くになって特赦を受けて再び世に出てきます。でもそれからまたすぐに分からなくなってしまったと氏は言っています。
その後に仔細があってこの件の書類を読んでみたことがあったが、今はすでにあの偉大な人間苦の記録も、どこかの長持ちの底で蝕ばみ朽ちつつあるであろうとも言っています。
「偉大な人間苦」の記録?

今もそうですが、小林氏の著作の中でこの出典を知り、柳田国男氏の著作へ実際にあたり全文を最初に読んだときにも感じたことで、この2人の子供のこと、そしてその秋の夕暮れの情景、それを記した文章ともに、何も言えない、コメントできないものを感じました。現代の何か事件や風潮等にひきつけて教訓や陳腐な帰結めいた言を許さないもの。小林さんが「美しい」文章と言った所以がこんな所にあるのかもしれません。

誤解のないように言いますが、子供達は食べ物もなくひもじさのあまりこの苦しい状態から逃れるために殺してほしいと言ったわけではないと思います。毎日自分たちのためにしてくれる父親。自分たちが今父親にできることで何をしたら父親を楽に、または助けることができるのか、その結論だったと思います。無意識に出していたこどもたちの行動・結論。
子供たちのことば、取った行動には何も言葉の出ないもの、何か心も身も締めつけられるもの、自然で透明な意志があります。「偉大な」と名づけるにはあまりに自然なもの。この「自然なもの」を子供達の行動とその意志には強く感じるのですが人はどう思うのでしょう?

「我々が空想で描いてみる世界よりも、隠れた現実の方がはるかに物凄い。また我々をして考えしめる。これは今自分の説こうとする問題と直接の関係はないのだが、こんな機会でないと思い出すこともなく、また何人も耳を貸そうとはしまいから、序文の代わりに書き残しておくのである。」 (『柳田國男全集 4』 所収の 「山の人生」 より)

One comment to “memories and mind”
  1. 付記:この記事は過去に記したものです。その時、出典を確認しようとして手持ちの文庫版全集を見ました。この全集はかつて4度手放しました。学生だった頃にはこの本は宮澤賢治全集(過去3度、文庫版、新校本版共に手放す。今はまた最後として蔵書してます)とともに手元に置いておきたかったため所有していました。

    3度目に手放す時、私は私物を整理・身軽にしたくて全て処分したのですが、最後まで所有していたこの全集(この頃には新決定版全集も刊行)も手放すことにしました。手放した理由は上記の他にもう一つありました。

    東日本に起こった大震災の時に、同じことが氏の著作の中に記されていたことに思い至ったからです。

    古書の販売は二束三文にしかなりません。この全集は思い入れもあり30,000を切りたくなかったのですが(オークションなどで今は文学全集などの古書・書籍を購入しようとする人は皆無でしょう)、買い手はつかず28,000まで値下げしたことを覚えています。それでも買い手はいませんでした。しかし、東日本大震災があって一年後、その検証が日本中で進められている中、先の記述、言及をした直後すぐに落札されました。同じようなことを考えている人は日本中に大勢いるのだと思い知りました。

    柳田國男氏は別の書物、冒頭「今では記憶している者が、私のほかには一人もあるまい」と同様、前書きの中で、2011年3月14日の現代に被害をもたらした津波について、官職にいた氏は自らのあしを使って今のほぼ同じ地域の被害状況をつぶさに踏査していますが、その時に海岸で目にした不思議な現像について所感しています。

    海岸を埋め尽くす無数のぼんやりとした人影のような灯が、海から上がって来てはまた海に帰っていく・・・ その現像の様子です。

    それは大津波の起こった8年前にも、被災し残された多くの遺族の方達が海岸で目にして語っていることでもあります。
    2019年08月26日記

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