la fin de belle-de-jour, que cela parte de la sienne

あさがお

この花が好きである。種を取っておき毎年植えようと思っていた。「毎年植えよう」が「いつか植えよう」に変わった。その「植えよう」が今年やっと叶った。思えば地面に植えたことは学生以来だ。

4年暮らしたワンルーム・マンションを移り、学生用の元下宿だった安い4畳半のでもcosyなアパートに移ってからは窓下にあった小さな庭を整えてかなり熱心にあさがおの世話をした。学業を終えてもしばらく留まっていたその地を離れ、半年間のボランティアを終えて帰国した後に一旦は横浜で就職した。

休日もほとんどなく毎日が朝から夜遅くまでの仕事漬けであったが、プランタンを用意しておいてやはりあさがおを植えた。都心郊外でのマンション暮らしは全てが快適ではあったが、土が恋しかった。春先、少しずつ寒暖の間で徐々に気温が上がり、陽光の温かさを含んだ土壌がムッと蒸気して立ち上げるあの土の匂いが好きだった。

生来、あまり出歩くのが好きではない性格だったので、その頃は、偶にあった休日は家でのんびりと書物か借りてきた映画でも読むか観ることが多かった。でも冬の朝など、日が出る前に寒気が対流し風が起こって自分の中の感覚が呼び覚まされる時がある。出発前の早朝に山で感覚器官が知覚し記憶されたものを街でも感じて心が落ち着かなくなる。その落ち着きなさは、こんな場所にいていいのかという自問とも取れた。山がまだ恋しかったのか?そうでは無いと思う。もっと本能的なものに近いものだったはずだ。

結局、植えた朝顔は細々として葉も花もあまりつけてはくれなかった。

その後、少なかったがその時のあさがおの種を採集して(フランスでお世話になった親友の母親からいただいたリンゴの種と、ポーランド人でベルギーから来日していた女性ジャーナリストからもらったラベンダーと麦の穂と合わせ)、横浜から実家のある静岡へ戻り、相変わらずの一人暮らしを続けて、仕事をいくつか掛け持ちもしながら自らの身体を使い労働に従事した。そして種はずっと何年も大事に仕舞っておいた。

仕舞い込んでいた種を植えてみたのがこの地へ移ってからだった。今年の夏、子どもが入学体験の時に学校からいただいたあさがおの種と共に植えた。まだ目が出ることを願い、そして遅咲きを期待して昨年から作っておいた土壌を盛り、7月中旬に植えた。今、初秋の候に、夕顔の枯れた蔓に絡まりながら濃紺と赤紫の花々が見事に咲いている。

子どもも私と同じように今年の5月に小学校であさがおを植えた。毎日の水やりと、彼の気持ちが届いたのか、芽が一斉に出てから、周りの友達よりも早く、勢い良く葉を茂らせ蔓を伸ばしていた。学童保育で放課後に迎えに行く時に私もいつも気にしながら観察していた。

同じ生育条件でありながら僅かな違いがその成長の具合をかえるというのは面白いと思った。全く双葉から成長していないものがある一方で、どんどんと見るうちに大きくなっていくものまで。芽が出てから全く伸びてゆかない他の友達のあさがおを誰かが心配したのか、ある日、私の子どもの鉢が置かれてあった場所が移動され、他のものに置き換わっていた。

夏休み前に、それぞれの鉢を持ち帰るように学校から言われていたので、終業式のあった翌日の土曜日に、子どもがまだ寝ているうちに散歩がてら5時頃に学校へ子どものあさがおを取りに行った。その時、校内敷地に一台だけの先生のクルマが置かれていてビックリした。

こんな早くにと思ったが、車両出入り口も閉ざされていたし、こんな早朝に校内に誰かいるはずはない。
1学期終業の後、あるいは月末に行われる「PTA祭」バレーボールの対抗試合のために、保護者グループに混ざり何人かの先生方も週末、仕事の後、夜遅くまで練習に参加していたので、その日も練習後など、車を置いて一人だけ自宅へは帰えらなかった事情があったのだろうか・・・ 大丈夫だろうかとは思ったが、小さなこの地域の中、世間的、因習的なしがらみも無く新参者である私たちにとっては、知らないところで人間関係など、色々とあるんだなと思うことにした。

あさがおは子どもの鉢と、もう一つブラジル人の友達のものが残っていて、あとは先生のものがあるだけだった。先生は学校へまだ出勤するだろうからお世話できるのだろう。でも2つ残った鉢が寂しそうだった。

夏休みの間も学童保育へは参加していたので、この残された2つの朝顔はいつも気になっていた。学校もお休みに入ってしまう時、この2つの鉢は遠目で見てなくなっていたので、先生が2つともに世話するつもりで持ち帰ってあげたのだろうと考え安心した。学童保育の靴類を取りにきた時に、2つのあさがおの鉢と、やはり別の「先生」と明記されたトマトの鉢が、ほたるの幼虫用の水路の中に置かれているのを見つけた時に、理由のわからない不安を覚え、この感情に戸惑った・・・

子どものあさがおは、花も早く付けていたので8月になると種作りの準備を始め、小さな葉を残してもう花を咲かせることなく成長を止めた。種が茶色くなり出した。しばらく緑の葉を残したままやがては枯れていくだろうと思った。

登校日(奉仕作業日)に鉢を持参するように指示が出ていて、始業式の前日の日曜日に子どもと2人で誰もいない学校へ持って行った。すでに誰か友達の鉢が3つおいてあった。そこから離れた場所の、休みの間持ち帰らずに取り残されたクラスの友達のあさがおは、成長が遅かったせいで、今まだ、葉だけは元気に生きているように見えた。一方、先生のあさがおは無残にも枯れて朽ちていた。

前日の週末に学校で業者による剪定作業を行っていて、そこら中、あさがおのある松の根元にも刈り取った草・枝類が放置されていて、先生の鉢の支柱は折れてしまって、枯れて仕舞ったトマトとともに、倒れかけたあさがおを埋めていた。

支柱は松の根元の刈り取り作業でぶつかって破損したものだとすぐにわかった。草や枝をのけて鉢を立ててやり、残った支柱を差し込んで元に戻してみた。子どもが話していたが「先生のあさがおは台風で壊れて仕舞った」と説明していたそうだ。でも鉢は、蔓が松の枝に絡まって風では倒れない状態だったが、折れて砕けた支柱だけが蔓から剥がされるようにしてブラブラとぶら下がり鉢と支柱が倒れかけていた。隣にあった友達の朝顔はそのまま立っていたので台風は関係がなく、作業者の破損事故から難を逃れて幸いだったと思う。種をつけることでやがて葉花は枯れていくものだが、この状態は水の供給が立たれて生育半ばで根ごと枯渇したものだった。

なぜか、この枯れた朝顔と、早朝、一台だけ取り残されたクルマのイメージが頭に浮かんだ・・・ 

すぐに、子どもが自分を呼んでいたので我に返ったが、子どもは心配したのか、色々と私にたわいないことを何度も質問し話しかけてきた。それに元気付けられて散歩の続きをしながら我が家に帰った。その時、一つの季節が過ぎていて、もう終わったのだと思った。