redemption

贖罪

●広島県の福山市にある市立動物園に子どもと訪ねた。小学1年になる子どもは、学校遠足で今月末にこの動物園に行くことになっていた。動物園については何度か短いコメントを記したが、以前から私は動物園に幼児を連れて行くことに大きな戸惑いがあった。

今はある程度の分別はつくと思っている。したい事、したくない事も、好き嫌いもはっきりし、その理由も自覚しているようだ。今は、その自分の子どもを信頼しいろんな事で任せるつもりでいる。

また、今回は子の遠足に先立って、オラン・ウータンがいるのかどうか(過去も含めて)確認したかった。そして学校が遠足先にと選定した「動物園」がどんなところなのかを知りたかった。

子どもがまだ幼児期だった時の「大きな戸惑い」には私なりの理由があったのだが、それについては後述する。

●動物園は、博物館法には社会教育を目的とする教育機関であると規定されている。これは美術館も同じであり、資料収集、その研究と展示・保存を主とした目的とする。動物園も、世界中に分布する動物を一堂に会し(収集)、それを実際に目にすることができることが醍醐味であるとは言われる。また、絶滅に瀕している種を保護し、その生態を研究することで、種の保存に寄与している。動物園が「繁殖」を一つの到達目標にしている点は、この「保存」という活動を、設立の目的・意義の一つと考えているからだ。まさに動物園も社会や人々に貢献する、社会教育機関といえるだろう。

この社会的な信用を持って、デート場所や家族連れの行楽地、学校の遠足先として手頃であり、判で押したように「人気スポット」の一つとして、男女カップル、子の親に、また「教育活動の学習・社会見学の場」として小中学校の関係者などに絶対的な信頼と支持を得ていると言える。

私たちは、この「判で押したような人気スポット」に対してそもそもどんなイメージを持っているのだろうか?

●「繁殖」について、もう少し記すと、ある動物の個体が人工飼育下で出産・繁殖をするということは、一応、その環境がその個体にとって適したものであると考える。野生の環境ではない、人工飼育をしている動物園では、各動物が適した環境で飼育・生活できるように工夫・改善が日々なされているわけだが、動物園が「繁殖」を一つの成功例として、それが実現できるように飼育環境を改善・整備していくことはいずれの動物園にとっても課題となっているはずだ。

飼育環境の改善・整備とは、主に動物園に来て動物たちを観覧する来場者のために行う活動、「展示」に関するもの。その展示方法の一つとして「生態展示(ジオラマ)」があるが、それは博物館などで個々展示された「モノ」、例えば動物の剥製などをケースに入れて展示する従来の方法を発展させ、個々の動物が本来生息している空間を再現し生物が生きている環境を一つの「資料(モノ)」として展示する今では標準的な考え方・方法のこと。

これは動物園でも実践されている方法だが、その先駆け的なものに「サファリパーク」などがあり人気も依然としてある(展示方法に工夫がないとマンネリ化、すぐに飽きられてしまう例にもれず)が、動物は本来動きのある生き物で、その生きた動きを目にすることはきっと一つの楽しみになるであろう。

広大な地の利を生かして、人間のアイデアで「展示」に趣向を加え人気を博している旭川・旭山動物園は有名である。展示方法 – 見せ方を工夫することで、今まで見たこともない、見れなかったようなアングルの動物、採餌行動などの、特にその「動き」を実際に目にできることは”ワクワク”し楽しいこと(娯楽 – エンターテイメント)に違いない。また、その生態の「環境」とは、人間との関わりの中で、歴史的な背景を視野にいれる場合もある。

例えば、旭山動物園に見る「オオカミの遠吠え」展示は、かつて生息し絶滅してしまったエゾオオカミへの鎮魂。かつて広大な森林を開拓した人間との関わり・歴史をも射程している等。

動物園で飼育されている動物たちにとって、その人工的な環境は「異常行動」などを引き起こしてしまうように、ストレスに満ちたものだ。大抵は夜間に活動する彼らにとっては、日中に大勢の目に晒される生活は彼らの寿命という時計を日々剥ぎ取っていくものだ。短命だったり、毎日動物に与えられる抗生物質や栄養剤などの化学薬品を添加された飼料は、癌などの現代的な新たな病気を動物たちの間に産み出しているのも事実だ。

希少種・絶滅危惧種取引の全面禁止は言うに及ばず、今は世界的に「動物園」であっても野生動物の取引はほぼできなくなっていく潮流の中で、かつて野生環境から離され売買・取引された個体も未だ国内にも多く生き残ってはいるが、繁殖・動物園間の取引などで飼育された系統の個体へと世代交代が次々に進んでいる(飼育下の育児放棄などの問題を生み出している)。

これは、本能はもはや眠りにつき抑えられ「野生」とは切り離された、飼料に依存し限りなく「ペット」に近づいていることを示す。

そういった動物園の動物たちを巡る「ストレス」の中で、先の話題の旭山動物園などに見る生態展示はそのストレスを限りなく小さくしてくれるかもしれない。そして、このアイデアに溢れた試みは、個々の動物たちが「繁殖」を可能にする適した環境の改善・整備へと繋がるものであろう。

言葉を変えれば、「繁殖」を一つの成功例として、動物園の飼育環境に、三ッ星レストランのような「認定書」を与えるようなものであろう。しかし、「繁殖」に”成功”した環境が果たしてその動物個体にとって適したものであると本当にいえるのだろうか。つまり、動物側から見た場合、その人間側の認識は果たして正しいといえるのだろうか?

一つだけ確かに言える事は、動物とは種を残すことが本能であり、いかなる環境に置かれようともそれを果たそうとするという事。自らの生存をかけて本来生息しない環境に適応し生き残ろうとしている野生の生物は個体レベルで数多く存在する。

●福山市立動物園は、特に稀少動物・珍獣などがいるわけではないし、規模もとても小さなものだ。ここで先の、年間の入園者が300万人を数える動物園界の巨人と、一地方の小さな園を安易に比較して何かを言いたいという意図は全くない。むしろ、ここの手作り感いっぱいの小さな動物園(運営側の取り組み)には好印象を覚えた。飼育するおなじみの動物たちを擬人化するように名前を付け愛着化(ペットのように。写真のサーバルは国内で他園から譲り受けた人工飼育による直系家族)、宣伝デザインのシンプルさに目が止まるなど、いいところ、楽しめるところはどこにでも見つけられるものだ・・・

私がここに記し促したい事は、飼育下にある動物たちが本来生息する野生、環境への気づきである。旭山動物園にしろ、数多ある地方都市の相変わらず酷い檻飼いをしている展示動物園にしろ、いずれであっても、動物たちはその本来生息する環境から切り離され人工的に閉じ込められているという点では同じだ。また、現在はその野生の環境すら知らない多くの飼育繁殖された動物たちがいて、動物園そのものの存在意義(需要)の問題もあるかもしれない。

そこで毎日働き動物たちに愛情持って世話をしている多くのスタッフの方達の気持ちは真意なものであろう。また、そういった場に関わり「いのち」について体験・見学ができるとしたら子ども達にとってはかけがえのないものになるであろう事を願う。

ある動物の個体が出産し、「繁殖」に成功する事を一つの環境をはかる指標とするとはすでに述べた。しかし、これは、この野生から隔離され飼育される動物が「ブラックボックス」の中で不幸に生きているのではなく、生存に適した環境下で飼育されているのだと、人間、それを一番わかっている人々が単に確信したいだけなのかもしれない。あるいは願いを込めてそう信じたいだけなのかもしれない。

●子どもが生まれて、ある程度のことばを話せ、自由に走り回れるようになった頃、何かのきっかけで初めて地元の中規模動物園に連れて行ったことがあった。

私は写真を撮りながら、子どもの反応やことばに対応しようと5感覚のアンテナを張っていた。子どもは走り回るのが好きで1箇所にじっとしていない。写真を撮ろうとしてもじっとしていないのでカメラは仕舞い子どもに張り付いた。動物にはあまり興味はなさそうだったが、立ち止まってじっと観察、いつまでもそこを離れない場所もあった。全く読めない・・・

ニホンザルのお山を見た後、ケージの中が見える裏側の薄暗くした通路に入った。さっき見ていた「サル」たちの解説も読める。子どもが足を止めていて見ていた檻を覗き込んでも何の檻か分からない。「オラン・ウータン」の解説に、暗くてそれがどこにいるのか分からなかった。子どもが「元気ないね」と言った。ギョッとした。実は目の前にいて、こっちをじっと見ていた。長い毛が濡れていて黒く汚れた高齢のかなり大きなメスだった。続けて子どもは「かわいそうだね」と言ったが、その言葉が突き刺さった。どこかの動物園で自分が目にして同じことを思った時のことが重なったので、子どもの手を取り「そうだね」と言葉をかけた。

動物園の設立目的やその展示方法が何であれ、この時子どもが言ったその言葉は純真なものだ。そして「かわいそう」だと感じ言葉を発したものは正しいものだと信じる。

5 comments to “redemption”
  1. 付記1:「大きな戸惑い」>>> post notes nov.23, 2016

    野生動物の観察が好きだった。高木から次の木へと滑空するムササビのダイナミズムはその環境を切り離し隔離してしまうことで失われる。滑空場所や広大なフィールドで彼らを展示したとしても、餌場としての梢々の背後に控える広大な森のエリアがなければ彼らは野生の生態を維持していけない。

    オラン・ウータンにしても樹冠50メートルを超える熱帯雨林の森、樹上を闊歩する姿は「空中散歩」展示で再現する事は不可能だ。

    人工飼育と野生との違いはなんであろうか?
    私は野生生物の眼差し、その生きる姿には「畏怖」を覚える。

    コスタリカ共和国はエコ・ツーリズム発祥の地だ。軍隊を持たない国としても知られているが、ここには動物園といわれるものがなかった。その代り保護センターや研究所、リハビリや野生に戻すための施設などがあり観光客にも解放されていた。

    野生動物を観察したい場合は、多くのエコ・ツアーを利用する。滞在先も豊富で安価だった。その名を日本でも耳にするようになる何十年も前から・・・ 先見性があって志の高い国民、国家だ。

    私がボランティアで働いていた、「雲霧林」で有名なモンテヴェルデ自然保護研究所は観光客も保護区内に滞在できる。運営はボランティアでまかなわれていた。世界中からボランティアでスペシャリストが参集、様々なプログラム、プロジェクトが進められていた。地元の村へは雇用を生み出し寄付や観光などから設備投資、収益をあげていた。

    生き物、特に野生の動物を捕獲、所有(飼育)するのではなく、見るという動物とのスタンスはこの頃から学んだ。

    そびえる樹上を群れで飛び荒々しい奇声をあげるコンゴウインコなど、「森の人」と呼ばれるオラン・ウータンをはじめ、子どもにその自然の中で野生の姿を一度見せたいと思っていた。子どもが生まれ動物園を遠ざけていた理由もそんなところにあった・・・

  2. 付記2:「願い」

    旭山動物園自身が打ち出していた園運営の「コンセプト」の一つには以下のようなものがあるので参考までに記載する。

    まず、自分たちの動物園を、「自然やそこで暮らす動物たちを知る「玄関口」としての機能」を持たせることを目指すとしている。その園にいる飼育動物たちは、「自然の本質や尊さを人間社会に訴えかける”自然からの動物大使”なのだ」と位置付けている。

    モットーとして設立当初の「飼育動物と来園者を繋ぐこと」から、「飼育動物とその動物のふるさとを繋ぐ」ために新たな展開を始めているのが現在の旭山動物園の活動理念。

    その理念を達成させる具体的な取り組みとして、例えば、絶滅危惧種のボルネオ・オラン・ウータンを飼育していることをきっかけとして、現地ボルネオ島で野生生物レスキューセンターの建設に着手する。現在はボルネオ・ゾウのための緊急避難施設の建設に着工する。名付けて「恩返しプロジェクト」。

    それは「動物園で優しい気持ちになれたり、癒されたりしたことを自分ごとで終わらせるのではなく、動物園の動物たちに対して「ありがとう」の気持ちを持つこと。その気持ちを動物たちのふるさとに「恩返し」という形で具体化」したものだという。

    「動物園はいのちを展示している施設。いのちを展示しているからこそ共感を得られ、できる活動は無限にあるのだと感じています。受け身であってはその可能性を見つけ切り開くことはできません。動物たちの幸せの輪と人類が交わる。そんな動物園を夢見て前進あるのみです。」the future vision of the asahiyama zoo, from “doubutsu-no-kuni, vol.97 apr. 2017.

    付記:マレーシア政府は動物園に関する厳しい法律を定めている。動物を動物園で展示・飼育する場合、各動物の飼育エリア(広さ)に関する規定がある。動物園の設立は日本の方が早いがこのような動物園の飼育動物に関する国内法は定められていない。

  3. Pingback: 備忘録 – 2019年9月 – notes 5.0

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