existential substance


古都ジョグジャカルタで今「豊かさ」について考えさせられています。多くのインドネシア人はあざとさ持って生きる図太い芯がある。このエネルギーは誰かのためにか生まれていると思う。

— moment edition (@edition5_jp) 2012年02月21日

◯身体をもった私たちにとってリアルさとは何なのか?
2年前に一ヶ月程滞在したインドネシアで人々のくらしの中に身を置き漠然とこんなことを考えさせられていたと思います。この投稿に先立つ一年前にもやはり同じようなことを考えていたことに気づきました。ツイッターへの投稿もほとんどなくなった頃です。
写真はシンガポールのMRT(地下鉄)に乗る人々の様子。街の様子は雑多なインドネシアとは対照的で他民族共生を掲げる一近代都市ですが問題は潜在化されやすい。2014年07月30日

それが何なのか見極めようとしている瞬間に、自分が大きな流れにのみ込まれていくこの予感。ただ信じてそのまま流されてしまえば行き着く先が何処であろうと、身体を背負ったこの感覚は自然な筈。息継ぎなどできなくとも構わない。相手が信じる様に、相手の喜びと身体を持つその存在に繋がれるならば。

— moment edition (@edition5_jp) 2011年02月18日

一生を通じ身体も信仰に殉じる、自らの純潔-処女性を、同じ戒律を信じ実践する相手に捧げる女性に出会った時。その半端無い人生の本気っぷり、神聖さに身震いを覚えた。一見素朴に見える平凡な生活者達。人生の決断、重厚な人との関係性、その密度の濃さ、質量の重さも飄々と受け止め、共に生活する姿が浮かんだ。愛だとか幸せだとか言葉上、理屈でしか受容できなくなっている私達でも、見出した相手の存在と責任を自ら背負い込む事で、信仰の実践とその崇高さと表裏なす、見苦しい程に生という実感と動物的な身体の実質に投げ出される。そんな覚悟が私達日本人にはあるのか?そう今自分に問うている。

— moment edition (@edition5_jp) 2011年02月24日

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