始まりのはじめ

昨年の1月から生活が一変しブログの投稿も久しくなりました。 同じ年の11月ぐらいから再度生活の状況が急転し、今もその変化に向かい「家族のかたち」は継続中です。 その向う先がかたちになりだすことを願いながらこの投稿を続けていこうと思いました。 長く継続していくことを考えこの投稿もシンプルなものに変えました。 主には、動・植物と鉱物について、時事と「モノ」については本編『moment edition』上で、このブログでは本編中の「編集後記(post notes)」を引き継ぎながら生活の基礎(原理)について記していきます。また雑感的に短く記していく、自分のための備忘録の意味もあります。 また、各記事は記述の途中でも投稿する場合があり、時間の経過とともに増補、そのかたちを変えていくかもしれません。

公共の行儀

島根県立歴史博物館(古代出雲歴史博物館)に子供と寄った。 そこに、昔、「多々良」の製鉄に使った送風機のミニチュアモデルで足踏み体験ができる展示がある。そこでの話である。 今記事タイトルの「マナー」を本来の「行儀」と記すと仰々しくなる。それは「儀礼」とか「儀式」の意味合いが含まれるからで、「公共」の場には、他人が共有しあるルール(規律)に基づく「社会」が無自覚的に存在する。「無自覚的」と言ったのはそれが「習俗」や「気質」と言ったものに通づるからであり、自分が自然として空気のごとく行なっている、身につけている(個々の習慣化している)ものを自覚するものは少ないからでもある。 さて話を進める。 実体験ができるという送風機の展示を見た子供が自分もやってみたいと言う。3歳になる子供ができるかどうかは一目りょう然。映画『もののけ姫』に出てくる製鉄の場面はこの「多々良」のことだ。台に乗り、上から垂れている紐を掴み、足を踏んで鞴(ふいご)を上下させることで空気を生み出す仕組みの、この展示なのだが、紐までの背丈が足りないし、紐を掴んだとしてもそれを支えにして足で力を入れてふいごを漕ぐのは明らかに無理である。ただ本人が「じぶんで」と、自分自身でやってみたいと言っているので、やってみるまではなんでも分からないし、それを大事にしてさせてみることにした。問題にぶつかればまた考えてよりよく工夫し再度試して見ればいいだけだ。 「いいよ、やって見な。・・・まずこの台に登って・・・」 台の高さは子供では登れない高さだったため、手伝って乗せてあげる。紐を掴まなければならないが、さぁどうするのかな? 実はここまでの話の下りでは触れなかったが、先ほどからずっと私たちのそばには一人の女性スタッフBが張り付いていた。 この展示見学に先立って、子供は一両列車の実物展示で延々と遊んでいた。客席に座ったり、運転室に入って色々触ったり大きな声で質問したり、走り回ったりしていた。車窓からは昔のモノクロの景色が見え、雑踏(人々の生活)の音や、ガタンガタンと電車の音が聞こえている。 子供はキャッキャッ言いながら嬉しそうというよりも興奮している。近くにいた若い女性スタッフAが2度、館内では静かにしてくださいと注意まで受けてしまった。子供は興奮しているので静かにと言っても初めだけですぐにはしゃぎ出して注意を聞かない。私自身が静かにするというこの場のマナーに違和感を覚えていた。実際に乗って触ってもいい、実物がそこにあることに興奮している子供の好奇心や自然な感情を遮り静かにさせ、それを「公共のマナー」と考える体験型実物展示の場に、その注意喚起の館員の規律が全くそぐわないとも感じた。 一方で静かな館内に確かに私の子供のエネルギッシュな言動はこの場にはそぐわないものだった。でもむしろそれは歓迎すべきものではないのか?アレコレと工夫してビジターに知的サービスを提供している側にしてみれば、この子供の前向きで知的興奮を覚えている反応は本望と言えないか?各ビジターに寄り添い、さらなる「知の体系」へ誘うのが彼ら専門スタッフの責務ではないのか? この控えめな若い女性スタッフの場合、監視という規律保全が業務と化している、何の裁量も託されていないのはよく察しできたしそれはそれで仕方のないことではある。私も違和感と反発を覚えながら声をもっと落とすように静かにさせ、少なくとも走り回らないようには静止させていた。その場には特に他のビジターがいるわけでもなかったし、時々順路沿いにその展示を覗きに立ち寄る人もいたが、素通りしていくマナーの良い人々に迷惑がかかっているという私自身認識はなかった。つまり「公共の福祉」を害する行為(制限されなくてはならない)とはみなすことはできなかった。公の場での喫煙(明白に健康への加害的な行為、害悪がある)が禁止・制限されるのは当然だしこの理由による。 美術館などでの絵画やクラシックホールでの音楽鑑賞の場で静寂さは大切な要素だ。また特に公共のマナーが守られるのは道路(通路)や病院、学習の場である図書館等、そして移動手段である電車やバスの中では特に重要だろう。博物館もそのような場の一つと考えるが、体験型の展示という空間で、行動とそこからくる感情を規制しようという考えは、全く相反するものであろう。静かにしなければならない場であれば、体験などと銘打たなくても良い、ただ静物展示だけして、中へは立入禁止にし、順路通りの見るだけの静物展示で良いと思う。 ここで話が振り出しへと戻る。 少し前から、居心地の悪さを感じ始めていたのだが、その理由は私たちが見学している真横で、「女性スタッフB」が張り付いているのを意識させられていたからである。体験型展示のこの空間でずっと担当していた若い外見的に洗練された控えめな「女性スタッフA」に知らない間に代わって、この「スタッフB」が放つ攻撃的なオーラを察知していたからだ。この中年の、人生開き直ってますと言わんばかりのだらしない体型と所作の「スタッフB」が、不自然に我々の動向をマークしている。 「いいよ、やって見な。・・・まずこの台に登って・・・」と、多々良のふいご台に子供を載せようとした瞬間、待ってましたとばかりに口を間髪入れずに挟んできた。 「ちょぉっとそれは無理だな、子供じゃ。それは無理。無理だからやめようか、それは」 私の子供が「無理」という言葉を聞いて、「無理だからパパやって」という。「いいよ、じゃぁパパがやろうか。でも一緒にやろう、おいで」 子供が「無理」と言ったことに瞬間的に反発を覚え、また他人がそばに(不自然過ぎるぐらいに)いることに気兼ねもありながら、子供を片手で抱えながら自分が一緒にもう一方の手で紐を掴んで踏み板を漕ごうと考えた。 「(鼻で笑う)ちょぉっとそれは危ないから。それも無理、もともと2人で乗るものじゃないから。やめて、それは。無理、無理」 先ほどから不快にも気になっていたこのスタッフが、突然タメ口利いてきた点にも腹立たしいということはあったかもしれないが、最もここで触れておきたかった点は、博物館という場は、子供の知的好奇心を刺激してくれるものを実際に前にして、その現物の「モノ」を目にできる(触って見る)ことが素晴らしいと考えていることで、それは学校と同様に教育機関の一つとして位置づけされている。その場にわざわざ参加しに来て、この中年の開き直っている鼻と腹を持ったスタッフが宣(のたま)ったこと、やってみたいという気持ちがある子供に、実際に行動(挑戦)する前に「無理だ」と宣告し、自分の言っている事・している事に無自覚(無知・無神経)でいること、そのような人物がこの教育という場にいることの違和感。その言を受けて子供に「無理だ」と吹き付けてしまっていることに無性な怒りを覚えた。 記事はここで唐突に終わりそして話は唐突に変わるが、水木しげる氏の作品に『水木しげるの古代出雲』がある。この中で、水木氏が新聞で1984年に荒神谷遺跡から銅剣358本、翌年に銅矛16本と6個の銅鐸が発見された記事に驚き興奮し、そのまま出雲王朝の存在や古代神話の事実を推察する。1996年の加茂岩倉遺跡から銅鐸39個が発見、それらが上記の古代出雲歴史博物館で実物が見れると知りさらに興奮、館内ではその凄さに声を揚げ仰天する様が描かれている。いくら歳を重ねても人間とはこのようなものだろうと思う。 閉館間際にもうなっていたが、上記いきさつがあって腹の底に何か重いものを残しながら早々にそこを引き上げ、館外に出たらまた子供が嬉しそうに走り回っていたので気持ちも晴れ、誰もいない広い敷地を清々しく子供を追っかけながらしばらく散歩・遊んでからここを後にする。

書くこと

学生の頃、教育学のクラスで教授の言葉を一言一句正確に筆記させるだけの授業を受けたことがあった。模擬授業を伴うこの単位はゼミ形式の少人数が望まれるのに150人を超える巨大なものだった。この教授の90分間ひたすら口述筆記させるスタイルは生徒からは大ヒンシュクだったが、「書くことは思想だ」といういささか古びたフレーズを繰り返しこれがこの教授のすべての根幹にはあった。 考えを書き留める事は思考力を深めるツールであると思う。 考えを書くことでまとめ、それを繰り返し読み、書き足し再び考え書きとめるという、考察を少しづつ深めていくプロセスだから。 ヒンシゥクだったのは、本来少人数による模擬授業の場であったはずのこの単位で、教育実習を控えた学生たちの焦りのようなものだったかもしれない。それは、学習したいことがあるのに何でこんなことに授業が費やされるのかという不満の表れということ。 あれからもう何年も経ってしまっている今、あの頃出席した授業、取得した単位のいくばくの程のものが実際に役に立っていることかと考えると、そのほとんどは無に帰していると言える。これは忘却という語に置き換えてもいいかもしれないが、月日の残酷さを実に物語る。 ただ確かなことは、書いたものは後々までも残るし読み返すことができるということ。 あの150人近くの学生の中に何人のものが教員職に就いたかは分からないが、先生として生徒と日々対峙し、怠惰に公職に安住してしまっているもの以外、思い悩み日々学究に努めるものは、この教授の残した言葉言葉は何ものかの解決・助言の言葉を含んでいるいたものと信じる。 件の教授にしても、学生達が教育実習を前に、またはあの特殊な短い学生という立場にいる時期に教師を目指すもののために何ができるのか残してやれるのか・・・  この教授が残したものは先を見据えた卓見したものだったと言える。 随分と早い時期に、再び一冊の大学ノートに書き残されたものを再読した時に、そのようなことは理解できていた。

豊かさの実相

増加する空き家について最近よくメディア等で言及されています。この空き家、地方の、特に過疎化が進む場所で問題化しているものだと思っていましたが、空き家が最も増加しているのが首都圏であると知りました。そして今、顕著なのが高齢者の個人宅における単身世帯が急速に増加しているという事象です。その事実を知って、その原因に思い及び、私にはそれはあまりに悲しい日本人の姿に映ります。それは何故か? 理由は、以前、「序文」(ブログの「第5期編集後記」)の中で日本の人々が寂しく映るとその印象に触れた事がありますが、その事象の原因に対する「寂しく映ると感じた」その一つの事象、実態を突きつけられたことによるものでした。これは我々日本人が高度経済成長と言われた時期に「豊かさ」を追い求め辿り着いたその「豊かさ」、「幸せ」の実相といえるものです。 これは人口が減少に転じ、今後加速度的に(生産労働人口、特に若い世代の女性)その数は減少していく点についてもその原因は同様なものと考えます。私たちが選択してきた「豊かさ」や「幸せ」の価値観は、子供を産み育ててきた家庭や地域のコミュニティとその役割を崩壊させ、人知れずに高齢者を孤立化、若い世代が子供を産み育てていくことのできない国にまで衰退させてしまったと言えるからです。

移住ということ 0.2

静岡県の旧浜北市(現浜松市浜北区)に岩水寺というお寺があります。 この寺は県立の森林公園内、広大な針葉樹林や林業用実験林に囲まれた遠州の古刹の一つ。桜の名所でもあります。安産祈願でお札をもらいに訪れる観光客も大勢います。今は県道になっている南北へ直線に走る大門通りという地名は、かつてこのお寺にあった参道跡の名残りで、今でも長く古い桜並木が部分的に残っています。 お寺の敷地も相当なものがあったと想像しますが、弘法大師に由縁ある伝承や史跡があり、本殿の周りには点在する水子地蔵群、稲荷の赤い鳥居が続く社、金比羅さん、薬師堂や白山信仰等の古いお堂が多く建っています。 銀杏の巨木が実に見事ですが、御堂の一つがある石段上の山々には、クスやケヤキの大木がそびえて立っているのが見えます。赤い太鼓橋や湧水池、茶屋に料亭やホテル・旅館等もあり、いくつかは未だに営業し、またあるものは既に廃墟となるか、永らく空き家の状態が伺えるものもあります。 そのうちの一つに目星をつけて借受けることができないだろうかという訳です。 これはもう何年か前の話になります。 その空き家は、民家とは趣が違っていましたが、旅館という感じではなく、別荘跡か何か、和風建築かつ瀟洒な風情ある大きな屋敷です(先の太鼓橋が架かる小川沿いに建ち庭がありません)。 まず所有者が分からないので近隣で何軒か尋ね歩いたと記憶します。以前住んでいた人はどこかへ移ってしまって誰も知りませんでしたが、茶屋のご主人がお寺さんに聞いてみたらどうかと教えてくれました。 「岩水寺のお寺さん」 そう聞いた時、大変失礼ながら、一瞬”嫌な”予感がしました。またこの一瞬感じた悪い予感(この場合、空き家を貸してもらえないという事)の理由も既に理解したような気がしました。 この地は私が13年間ほど育った所でもあります。何年か振りで戻ってきた場所でした。結果的にこの地へ戻り定住しようと決めたそんな場所でした。 今思うと、空き家探しは20年ほど前から始めていたことになります。 空き家を現在探していることは、前回の「移住について0.1」の中で記しましたが、その頃と今とでは空き家をめぐる状況は大分違ってきています。まずは所有者から探し出さなくてはならなかった以前に較べて、まだまだその途上ではありますが、最近では「空き家バンク」も整備されつつあり、家屋のリフォームや移住に関する国や地方自治体による補助制度も利用できる状況にあります(最近の移住・空き家に関する動向についてはまた稿を改めて記します)。 20年前・・・ それは、大学在学中に2年間休学した際にこの地へ一度戻ってきた頃です。そこでは幾つかの仕事を掛け持って働いていました。 それから2年後、自分は学校を終えたのが世間並みには遅く、27歳の時に実家のある静岡へ再度戻ってきました。これはその頃のことを記しています。 自分は今後どんな事をして生きていくのか、どんな事をして生きていきたいのか、そんな事を考えていた頃の事だったと思います。その考えは漠然としたものではなくて、ある程度はっきりとしたものでした。それは簡単に言えば、文学から学べるものを思考の基において、野生生物の観察・調査(踏査)を続けていくというもの。 「文学から学べるもの」については説明が必要です。またその文学と動物観察が一体何の関係、つながりがあるのかこれでは分かりません。これについても人が生活する「環境」と「博物館学芸員」について言及する時に再び稿を改め記述を試みて見ます。 ここで一点だけキーワードとして触れておきたいのは、「宮沢賢治」があり、彼が見上げた「青い空」は「モノ化」できるのかについて、その考察がこの命題を導く「解」になります。 何を言っているのだと思うかもしれません。 大丈夫です。 この事については稿や題材を替え繰り返し言及していきます。 以下、先ほどの続きへ戻りたいと思います。 空き家の借り受け交渉について、結論から先に述べると、NGでした。はははっ。 「悪い予感」などには関係もなく、これは当然の結果だったと言えます。許認可を受けた専門家、不動産業等を介した不動産の売買・賃貸契約を考えれば、いきなり訪問してきて空き家について質問してくる見ず知らずの人物とそのような話を”常識的”にはするはずはありません。 さて、来意を告げてお寺の取次の方がお座敷の方へ案内してくれました。お茶と茶菓子まで用意してくれました。そこでしばらく待ちながら、壁に掛かっている古い写真を眺め、この辺り一帯、昔の繁華だった頃の往時を偲びました。 当時は芸妓さんたちの置き屋もあり豪奢だった人々の暮らしの一端が伺えます。私が借り受けたいと目論んだ家屋もおそらく元は貸座敷などを営んでいたものだったかもしれません。 ご住職の方が現れました。お忙しい中、突然現れた”不審者”の訪問にまでお時間を割いて頂きました。来意は告げてあったので、ご住職はにこやかな表情で現れるこう言いました。 あの家屋は私が今管理しているものです。 中は傷んでいてものなども沢山物置のように置いてあります。 人に家屋を貸し出し、そこで人が生活するには(手すりや天井も傷んでいて)危険で便宜に欠けると思いますしそのままにしておりますとおっしゃいました。 私の用件はまず、家屋の所有者の所在を知っていますかというもの。それは当家屋を借り受けたいと希望しているためですということを告げてあり、ご住職のその言葉を聞いた際には、こちらの目的をもう一度告げ、その家屋へは、生活場所若しくは研究所(動植物の観察場所)として利用、そこでどんな活動をしたいのか、自己紹介に始め、家屋の用途や計画案などの概要を伝えました。またこの場所周辺の環境の特色などについて自身の意見を述べました。 「環境の特色」は、今でいう「観光資源」としての有用性といえばいいかもしれません。 私はその環境が持つ特色、特異性の一つは、動植物の分布・自生、棲息する環境にあると考え、長い間、踏査・観察を続けていました。まあ、地元だったのでその環境、特に生物の棲む環境に関して知り興味を持っていたわけです。 上で「悪い予感」という語で表したものは、私が興味を持ち、その環境がそなえている特色は、より良く知りそれを広め、保全・保護すべき財産(博物館などでいうモノとしての「資料」、先でいう「観光資源」)となる可能性を持っているという考え方と、新しいこの寺院当主の行為が、真っ向から対立するものだという点を理解していて、相手からの了承を得ること叶わずという見極めを意味しています。 ここで少しそこがどんな場であったのか記しておきます。 その舞台は石灰岩の採石場跡地で、切り出されたいく段にもなる棚状になった山です。そこでは山を切り崩していく作業があったのでしょうか。屏風のようになった岩壁がむき出しになっていて、下部に小さく開けた進入口が見えます。そこを奥までドリルなどで岩を掘り進めて広い鍾乳洞へとつながっています。そこは水が地底湖のように溜まり、採掘用の縦穴、横穴があき、縦穴には泥が流れ込みふさがり水が溜まっていて危険な箇所がいくつもあります。採掘はダイナマイトで岩盤を崩して採取していたようで、”ハッパ”を差し入れた後がいくつも見出されます。 こういった作業中に原人の頭骨(浜北原人)や剣歯虎などの化石が発見されています。天井の高い広いスペースは無数のコウモリの営巣場所(コロニー)になっています。地下水の吹き出しが激しく危険なため、ここは閉鎖されたと聞きました。 地下に水の汲み出し用のパイプが埋設されているようで勢いよく流れ出している水音がします。それでもここは大部分を水面に覆われています。流水量が多いのです。この水は外部へも地下から流れ出し小川を形成しています。その中に梅花藻が自生し群落を形成しています。キツネを偶然にも見かけたことがありました。 この場を少し離れて前半でお寺の景観を記述しましたが、椎の木の巨木や樫、欅(ケヤキ)の大木がかつてお寺の周囲の山々を覆っていました。そこに空いた洞にはムササビが住み着いていました。夕暮れ、朝方に目視で観察できました。 コノハズクが夜間にはイチョウの梢で鳴いていました。小中型の哺乳類も無数に生息していたでしょう。遺物(糞)から想像できました。食物網(食物連鎖)の頂点に君臨するキツネやフクロウのような捕食動物がいること自体生態系が維持され豊かな証拠でした。山奥のどこかしらには別段珍しくもなく多くの生き物が生息しているものですが、ここは人間が暮らすその境界線上あるいはその内側に棲みつき見られる点が面白いと思いました。 さて話を空き家の交渉に戻しますが、代が変わりこのお方が住職になった時、お寺は修繕や改修なども行い非常に綺麗になりました。その周りも大規模に”スッキリ”としました。大木が切り倒され、鬱蒼としていた山々が後退して開けた印象になりました。 先の採石場跡地も拝観者用の駐車場として整地されるか、線が引かれるかして、普段は「私有地につき」立ち入り禁止になりました(以前は市が危険ということでこの広大なエリアを立ち入り禁止にしていました。教育委員会の遺跡案内の看板は中にはありましたが・・・)。ここは週末自然発生的にフリーマーケットが開催されていましたが、それらもここから締め出されて、人の集まる流れが絶えました。鍾乳洞入り口も埋められてしまいました(見学用の鍾乳洞もこの上にはありましたがそこも封鎖されました)。清流も枯れ、そこに梅花藻の群落があったことすら人に知られず消失しました。それらはすべて、仏に仕えるお方の意向に依りました。 この稿を起こしてしばらく途中になっている間に、最近、再び、5年振りぐらいにこの地に立ち寄りました。夏だったこともあり雑草や蔓類が生い茂っていて過去の遺物はまさに草に埋もれているといった感じでした。 ただそこは現在、桜の木が無造作に無数に植えられていて「桜の道」なる名前が付され、「拝観者用駐車場」と「私有地につき立ち入り禁止」の看板の横に「公園」と銘打たれていました。 5年前には確かになかった木々。この5年という間にほぼ成木に達している木々の成長に驚きました。坊主の心の内にも何かしらの変化が兆したのでしょうか? 私にとってはこの地は思い出深い場所 -中学の頃にクラス全員を巻き込んで映画を撮影したり、洞窟探検等、青年に達してからはロッククライミングの練習や動物観察等- だったのですが、子供が異様な雰囲気にしきりに帰ろう帰ろうとせがむので写真を一枚だけ撮って後にすることにしました。ここへは再び尋ねることはないだろうなと感じたことを思い出し、それをここへ記しておきたいと思いました。

モノ+原型/ [腐植・爬虫] 率

mono+proto/R: (Plantae-Reptilia/DECAY) a phenomenon as myself is a blue light which is a predefined organic alterant lamp. from “spring and aspect” written by Kenji Miyazawa 腐植の湿地を土壌にして、雲にからみ付こうと空へ向かって伸びたアケビの蔓・・ そのイメージ。 無名のまま生涯を終えた詩人・宮澤賢治 (1896-1933)は、己を一人の「修羅」であると自覚していた。その彼が見上げ美しいと言った「青空」をモノ化できるのか? 春はすべての「明」、始まりの像。生命は無数の連環の中で現象する「光」である。単なる偶然的な調合で起こる理法・化学反応に加えて、これは植物が枯れて堆積した土壌や、獣の屍、それを喰い尽す微生物との連鎖を通じ現れるモノ。 ●語句補遺1:「モノ化」

●●● ことば

Marcel, regarde. On dirait qu’il va parler. Mais… Regarde! On dirait qu’il va dire: “Papa”. 訳文: 「マルセル、見て。しゃべろうとしてるわ。でも・・・ 見て!”パパ”って言ってるのよ」 赤ちゃんが初めてことばを口にする瞬間に立ち会えた時どんな思いがしましたか? 映画『僕を探しに』(”Attila Marcel, 2013″)から冒頭のセリフです。 「ことば」というか、赤ちゃんが発する「音」が意味をなさなくても、我が子が日々すごい速さ秒単位で成長を遂げている瞬間瞬間に理由は何であれ立ち会えないとしたらそれは不幸なことだと思います。 赤ちゃんがまさに生きようという本能的な意志のベクトルに向かって、数秒も惜しまずに一生懸命に無心に何かを伝えようとしている姿は父親である私の中の何かに強く働きかけるものです。

移住ということ 0.1

今、空き家を探しています。空き家探しでは「移住」という語がたくさん検索されます。 自分が空家を探す理由は賃貸費用が格安だからです。勿論空き家を探す理由はそれだけではありませんが、売買を条件とする戸建ての”物件”も格安です。ただ安い条件は所在する場所に”ある傾向”があります。人によってはこの傾向を問題とする場合もあります。傾向あるいはこの問題は「僻地」、「山間部」または「過疎地」といった語に置き換わります。その地に移ることを「移住」という語を当てはめて、これを「田舎暮らし」と呼び、ブームの流れを各メディアが伝えます。同じ居住地を変える新築転居や転勤などの「引っ越し」は、毎年大勢の人々が移動を始める一つの動きですが、この移住という流れとは傾向が違います。 ブームの流れをつかみそれを利益化するには他とは違うという差異化を図る必要があり、高収益を上げるにはそこに付加価値を上乗せ(ブランド化)する必要があります。引っ越しもこの「移住」も生活の場を移す意味では同じであり、「移住」と銘打ってメディアや業者等の利益受容者が両者をあえて区別しているものは、上の構造からもたらされたイメージ戦略、宣伝・演出(商品コピー)の違いにあります。 しかし人が居住地を移す、特にブームとされる「田舎」へ今多くの人が移住するという傾向は、上の商業ベースの構造に沿った流れとは異なるものです。 確かに、需要と供給という関係で言えば移住者は需要側に当たるのでこの構造上に当てはまるものには違いはありません。しかし、人のライフスタイルというもの(生き方の選択や考え方、生計の方法・手段等)が需要するものは、商業的イメージを含めて売り買いできる商品とは次元の異なるものであって、むしろ生存本能の欲求に近いものを感じます。 今、ブームだと言われるものは、定年後に農作業をしながら田舎へ移住する以前多く見られた年配者たちの流れに加えて、独身者を含めた若者世代や子育てをしている世代が「田舎」へ(安い空家を借りたり購入したりしながら)移り住むというものです。 では何故多くの人が「田舎」を選び居住地として移住していくのでしょう。それは必然的な流れだと結論づけることができます。 先に使用した「生存本能の欲求」という語について触れながら、(田舎への)移住が必然的な流れだと結論付けた根拠について幾つか稿を改め記していきたいと思います。 「移住ということ」メモ: ●岩水寺の地所と空き家 0.2(雑感) ●行政と国の施策から見えるもの 0.3(考察) ●地方自治体を経営する 0.4(考察) -国からの独立、連邦制とよみがえる藩制- ●国の行く末 0.5(展望) -食・産業活動(労働人口)に関する「生き方」の問題-(「生存本能の欲求」) 「移住ということ0.2」>>>

●●● 星々の間に

C: my daughter was 10 years old. I couldn’t teach her Einstein’s theories before I left. B: Couldn’t you have told her you were going to save the world? C: No. When you become a parent, one thing becomes really clear. And that is that you want to make sure your children feel safe. And it rules out telling a 10-year-old that the…

家族のかたち

「家族のかたち」について。 家族にある決まった「型」があるわけではありません。しかし、人それぞれがこれが理想の「原型」だと思える・考えるものはあるはずです。そして、その「原型」となるものは様々な「かたち」になるはずです。「家族のかたち」とは私自身にとっての家族のあり方、家族の「原型」となるものを意味します。 moment edition(第5期)のサイト・テーマについて以下は記述したものです。 thing to start from a frame of “family” (「”家族“のかたちから始まるもの」) 全体のテーマはやはり「家族」です。 家族を一つのものと見た時、そこから何かをはじめることができるのか、何かをはじめなくてはならないのは分かっていますが、今も模索していることです。 「”家族”のかたちから始まるもの」 随分な曖昧とした記述です。”曖昧な” ではなく、記すに足るだけの”かたち”になったものが私には何もないと記した方が正しいです。 一人(独身)であった時期が永らくあり、伴侶となる妻と出会って結婚し、今は子供も授かりました。 家族というものです。 家族に関する理想や概念が何であれ、これが私にとっての”家族のかたち”です。 ここから始まるもの、始めるものとは一体何なのでしょうか? 先に使用した「原型」という語について考察し記述することは、自分にとって「家族」について考察し記述することを意味します。「家族」は「原点」という語に置き換えることもできます。この原点から、家族のあり方、つまり「家族のかたち」について、その具体的な事象を記していくことで少しずつ「かたち」にしていこうと思います。

見上げる青い空

自分にとって「青い空」という言葉は宮沢賢治氏が見上げた空の一つのメタファーです。 青い空? 宮沢氏の見た「青い空」。 アケビの蔓がからまり、腐食の湿地から見上げた梢の、そのまた上空に広がる。