移住ということ 0.2

静岡県の旧浜北市(現浜松市浜北区)に岩水寺というお寺があります。

この寺は県立の森林公園内、広大な針葉樹林や林業用実験林に囲まれた遠州の古刹の一つ。桜の名所でもあります。安産祈願でお札をもらいに訪れる観光客も大勢います。今は県道になっている南北へ直線に走る大門通りという地名は、かつてこのお寺にあった参道跡の名残りで、今でも長く古い桜並木が部分的に残っています。
お寺の敷地も相当なものがあったと想像しますが、弘法大師に由縁ある伝承や史跡があり、本殿の周りには点在する水子地蔵群、稲荷の赤い鳥居が続く社、金比羅さん、薬師堂や白山信仰等の古いお堂が多く建っています。

銀杏の巨木が実に見事ですが、御堂の一つがある石段上の山々には、クスやケヤキの大木がそびえて立っているのが見えます。赤い太鼓橋や湧水池、茶屋に料亭やホテル・旅館等もあり、いくつかは未だに営業し、またあるものは既に廃墟となるか、永らく空き家の状態が伺えるものもあります。

そのうちの一つに目星をつけて借受けることができないだろうかという訳です。
これはもう何年か前の話になります。

その空き家は、民家とは趣が違っていましたが、旅館という感じではなく、別荘跡か何か、和風建築かつ瀟洒な風情ある大きな屋敷です(先の太鼓橋が架かる小川沿いに建ち庭がありません)。

まず所有者が分からないので近隣で何軒か尋ね歩いたと記憶します。以前住んでいた人はどこかへ移ってしまって誰も知りませんでしたが、茶屋のご主人がお寺さんに聞いてみたらどうかと教えてくれました。

「岩水寺のお寺さん」

そう聞いた時、大変失礼ながら、一瞬”嫌な”予感がしました。またこの一瞬感じた悪い予感(この場合、空き家を貸してもらえないという事)の理由も既に理解したような気がしました。

この地は私が13年間ほど育った所でもあります。何年か振りで戻ってきた場所でした。結果的にこの地へ戻り定住しようと決めたそんな場所でした。

今思うと、空き家探しは20年ほど前から始めていたことになります。

空き家を現在探していることは、前回の「移住について0.1」の中で記しましたが、その頃と今とでは空き家をめぐる状況は大分違ってきています。まずは所有者から探し出さなくてはならなかった以前に較べて、まだまだその途上ではありますが、最近では「空き家バンク」も整備されつつあり、家屋のリフォームや移住に関する国や地方自治体による補助制度も利用できる状況にあります(最近の移住・空き家に関する動向についてはまた稿を改めて記します)。

20年前・・・
それは、大学在学中に2年間休学した際にこの地へ一度戻ってきた頃です。そこでは幾つかの仕事を掛け持って働いていました。
それから2年後、自分は学校を終えたのが世間並みには遅く、27歳の時に実家のある静岡へ再度戻ってきました。これはその頃のことを記しています。

自分は今後どんな事をして生きていくのか、どんな事をして生きていきたいのか、そんな事を考えていた頃の事だったと思います。その考えは漠然としたものではなくて、ある程度はっきりとしたものでした。それは簡単に言えば、文学から学べるものを思考の基において、野生生物の観察・調査(踏査)を続けていくというもの。

「文学から学べるもの」については説明が必要です。またその文学と動物観察が一体何の関係、つながりがあるのかこれでは分かりません。これについても人が生活する「環境」と「博物館学芸員」について言及する時に再び稿を改め記述を試みて見ます。

ここで一点だけキーワードとして触れておきたいのは、「宮沢賢治」があり、彼が見上げた「青い空」は「モノ化」できるのかについて、その考察がこの命題を導く「解」になります。

何を言っているのだと思うかもしれません。
大丈夫です。

この事については稿や題材を替え繰り返し言及していきます。

以下、先ほどの続きへ戻りたいと思います。

空き家の借り受け交渉について、結論から先に述べると、NGでした。はははっ。

「悪い予感」などには関係もなく、これは当然の結果だったと言えます。許認可を受けた専門家、不動産業等を介した不動産の売買・賃貸契約を考えれば、いきなり訪問してきて空き家について質問してくる見ず知らずの人物とそのような話を”常識的”にはするはずはありません。

さて、来意を告げてお寺の取次の方がお座敷の方へ案内してくれました。お茶と茶菓子まで用意してくれました。そこでしばらく待ちながら、壁に掛かっている古い写真を眺め、この辺り一帯、昔の繁華だった頃の往時を偲びました。
当時は芸妓さんたちの置き屋もあり豪奢だった人々の暮らしの一端が伺えます。私が借り受けたいと目論んだ家屋もおそらく元は貸座敷などを営んでいたものだったかもしれません。

ご住職の方が現れました。お忙しい中、突然現れた”不審者”の訪問にまでお時間を割いて頂きました。来意は告げてあったので、ご住職はにこやかな表情で現れるこう言いました。

あの家屋は私が今管理しているものです。
中は傷んでいてものなども沢山物置のように置いてあります。
人に家屋を貸し出し、そこで人が生活するには(手すりや天井も傷んでいて)危険で便宜に欠けると思いますしそのままにしておりますとおっしゃいました。

私の用件はまず、家屋の所有者の所在を知っていますかというもの。それは当家屋を借り受けたいと希望しているためですということを告げてあり、ご住職のその言葉を聞いた際には、こちらの目的をもう一度告げ、その家屋へは、生活場所若しくは研究所(動植物の観察場所)として利用、そこでどんな活動をしたいのか、自己紹介に始め、家屋の用途や計画案などの概要を伝えました。またこの場所周辺の環境の特色などについて自身の意見を述べました。

「環境の特色」は、今でいう「観光資源」としての有用性といえばいいかもしれません。

私はその環境が持つ特色、特異性の一つは、動植物の分布・自生、棲息する環境にあると考え、長い間、踏査・観察を続けていました。まあ、地元だったのでその環境、特に生物の棲む環境に関して知り興味を持っていたわけです。

上で「悪い予感」という語で表したものは、私が興味を持ち、その環境がそなえている特色は、より良く知りそれを広め、保全・保護すべき財産(博物館などでいうモノとしての「資料」、先でいう「観光資源」)となる可能性を持っているという考え方と、新しいこの寺院当主の行為が、真っ向から対立するものだという点を理解していて、相手からの了承を得ること叶わずという見極めを意味しています。

ここで少しそこがどんな場であったのか記しておきます。

その舞台は石灰岩の採石場跡地で、切り出されたいく段にもなる棚状になった山です。そこでは山を切り崩していく作業があったのでしょうか。屏風のようになった岩壁がむき出しになっていて、下部に小さく開けた進入口が見えます。そこを奥までドリルなどで岩を掘り進めて広い鍾乳洞へとつながっています。そこは水が地底湖のように溜まり、採掘用の縦穴、横穴があき、縦穴には泥が流れ込みふさがり水が溜まっていて危険な箇所がいくつもあります。採掘はダイナマイトで岩盤を崩して採取していたようで、”ハッパ”を差し入れた後がいくつも見出されます。

こういった作業中に原人の頭骨(浜北原人)や剣歯虎などの化石が発見されています。天井の高い広いスペースは無数のコウモリの営巣場所(コロニー)になっています。地下水の吹き出しが激しく危険なため、ここは閉鎖されたと聞きました。
地下に水の汲み出し用のパイプが埋設されているようで勢いよく流れ出している水音がします。それでもここは大部分を水面に覆われています。流水量が多いのです。この水は外部へも地下から流れ出し小川を形成しています。その中に梅花藻が自生し群落を形成しています。キツネを偶然にも見かけたことがありました。

この場を少し離れて前半でお寺の景観を記述しましたが、椎の木の巨木や樫、欅(ケヤキ)の大木がかつてお寺の周囲の山々を覆っていました。そこに空いた洞にはムササビが住み着いていました。夕暮れ、朝方に目視で観察できました。

コノハズクが夜間にはイチョウの梢で鳴いていました。小中型の哺乳類も無数に生息していたでしょう。遺物(糞)から想像できました。食物網(食物連鎖)の頂点に君臨するキツネやフクロウのような捕食動物がいること自体生態系が維持され豊かな証拠でした。山奥のどこかしらには別段珍しくもなく多くの生き物が生息しているものですが、ここは人間が暮らすその境界線上あるいはその内側に棲みつき見られる点が面白いと思いました。

さて話を空き家の交渉に戻しますが、代が変わりこのお方が住職になった時、お寺は修繕や改修なども行い非常に綺麗になりました。その周りも大規模に”スッキリ”としました。大木が切り倒され、鬱蒼としていた山々が後退して開けた印象になりました。
先の採石場跡地も拝観者用の駐車場として整地されるか、線が引かれるかして、普段は「私有地につき」立ち入り禁止になりました(以前は市が危険ということでこの広大なエリアを立ち入り禁止にしていました。教育委員会の遺跡案内の看板は中にはありましたが・・・)。ここは週末自然発生的にフリーマーケットが開催されていましたが、それらもここから締め出されて、人の集まる流れが絶えました。鍾乳洞入り口も埋められてしまいました(見学用の鍾乳洞もこの上にはありましたがそこも封鎖されました)。清流も枯れ、そこに梅花藻の群落があったことすら人に知られず消失しました。それらはすべて、仏に仕えるお方の意向に依りました。

この稿を起こしてしばらく途中になっている間に、最近、再び、5年振りぐらいにこの地に立ち寄りました。夏だったこともあり雑草や蔓類が生い茂っていて過去の遺物はまさに草に埋もれているといった感じでした。
ただそこは現在、桜の木が無造作に無数に植えられていて「桜の道」なる名前が付され、「拝観者用駐車場」と「私有地につき立ち入り禁止」の看板の横に「公園」と銘打たれていました。
5年前には確かになかった木々。この5年という間にほぼ成木に達している木々の成長に驚きました。坊主の心の内にも何かしらの変化が兆したのでしょうか?

私にとってはこの地は思い出深い場所 -中学の頃にクラス全員を巻き込んで映画を撮影したり、洞窟探検等、青年に達してからはロッククライミングの練習や動物観察等- だったのですが、子供が異様な雰囲気にしきりに帰ろう帰ろうとせがむので写真を一枚だけ撮って後にすることにしました。ここへは再び尋ねることはないだろうなと感じたことを思い出し、それをここへ記しておきたいと思いました。

<<<移住ということ0.1

2 Comments

  1. editor_gaku editor_gaku says:

    語句補遺1:

    学校を終えて実家へ戻り、2年間バイト等をしながら親元で居候の身に甘え、抑えがたい衝動により半年間コスタリ共和国に滞在(関連記事)したのもこの頃。

    本文中の写真は唐突ながら、コスタリカ第2の都市エレディア滞在時に撮影したもの。2001年に一人迎えた誕生日でのディナー(夕飯)の様子。

    「9・11」により帰国便がキャンセル、出国(ロサンゼルス行)の目処が立たないまま、当国エレディアの町で独立記念日を迎えた。

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